話題の映画「ゴジラ-1.0」を見てきました!
いや、大迫力で楽しかったです!
私は予備知識ゼロで見たため「戦時中~終戦直後の日本」が舞台だとは知らなかったんですよね。
軍オタの私としては、大興奮!
冒頭、零戦を操縦している主人公が出てきた時点で「ぐおぉぉ!!」と小さく叫んでしまいました^^;
クライマックスには、伝説の戦闘機「震電」も登場しますよ。
軍オタの皆さん、ぜひ見に行ってください!
さて、では拙いながら、レビューしてみようと思います。
まず、お断りしておきたいのですが、私はゴジラファンではありません。
唯一、小学時代に映画館で一本見た程度。
それが第何作なのかも、定かではない。
従って、ファンの方から見れば「おいおい、こいつ無知のくせに何レビューしてんだよ」と思われるかもしれません^^;
その辺、ご承知の上でお読みくださいm(__)m
第一印象として感じたのが「ゴジラが絶対悪として描かれている」という事です。
そもそもゴジラという生物は「ビキニ環礁水爆実験における放射能の影響で生まれた」
という設定でしたよね、確か。
この時点で「人間中心主義批判」的な視点がある訳です。
人間の都合(地球環境破壊)の影響で、いわば人間によって無理に誕生させられた。
そのくせ都合が悪くなると、今度は「被害者ヅラ」をして、あの手この手でゴジラの殺処分を目論む。
現代で言う「アーバン・ベア(市街地に出没するクマ)」みたいなもんですね(笑)
「なんか感動的に描いてるけど、結局最初から最後まで”人間の都合”だけやないかい!」
そのような、人間中心主義を相対化するような視点があったわけです。
ところが、今回のゴジラは違います。
そもそも、時代設定が「戦時中~終戦直後」ですからね。
ゴジラ誕生のきっかけである「ビキニ環礁水爆実験」以前の物語なのです。
そうなると、話は変わってきます。
物語、そして世界は「魔王こそが本質」なのですから。
魔王の設定如何によって、世界観は規定される訳です。
今回のゴジラは「人間にとっての”災厄”全般のメタファー」として描かれているように感じます。
つまり、絶対悪です。
「核兵器」や「天災」。
放射火炎が、あそこまでモロに「核兵器」なのには笑いました。
あと「天災」としての側面も強調されていましたね。
ゴジラの進路予想図は、モロに「台風」のそれでしたし(笑)
従って、今回のゴジラは、単純に「エンタメ」として見るのが正解ですね。
「魔王が絶対悪」である時点で、そうなります。
変にイデオロギー的解釈をするべきではないでしょう。
終盤に登場する、幻の戦闘機「震電」。
これについても「メッセージ性よりエンタメ性を重視した結果」でしょう。
もしここで「命を粗末にし過ぎた戦時批判」「一人の犠牲者も出さない」という、生命至上主義的なメッセージ性を重視するならば、選ぶべき機体は他にあります。
特攻専用機です。
例えば、桜花。
「航空機」というより「操縦できる爆弾」です。
推進ロケットの燃焼時間は、わずか9秒。
航続距離、数十キロ。
着陸用の主脚を持っていないため、二度と地上に戻ることはできません。
発信した時点で、文字通り「必死」なのです。
あるいは「剣」。
「木」と「ブリキ」で作られた、恐ろしく粗末な機体。
離陸した時点で「主脚」は外れ、回収、再利用されます。
つまり、一度飛び立ったら、二度と着陸できません。
こちらも文字通り「必死」です。
これらの特攻専用機を「使ったうえで」、脱出装置によって生還する。
こうすることで「命を粗末にした戦時中の否定」というメッセージ性は強まるでしょう。
正直言って、映画の中では「命を粗末にした戦時中」の具体性が欠けています。
わずか数秒で「補給を軽視し、戦死者の大半が餓死だった」と「言葉」で説明するだけ。
これでは、メッセージ性という意味での説得力は弱いでしょう。
それでもあえて「震電」を選んだ。
エンタメ性、そしてファンサービスを重視した、ということでしょう。
実際、私は大喜びでした(^^)/
ということで、結論です。
今回のゴジラは、純粋なエンタメとして、素直に楽しみましょう!
いや、大迫力で楽しかった!