お気持ち全盛時代

57歳独身女性、資産1億1000万円でもFIREで貧困。

 

この様な記事が、話題になりました。

 

まず、この文章は「商品」だという事を忘れてはなりません。
そもそも「客観的に正しいとされる事」が目的ではないんですね。

あくまで「ターゲット顧客層」に訴求する事が目的。
その「顧客層」とは「FIREに否定的な層」です。
荻原博子女史と同じ商品戦略ですね(笑)

逆に「FIREを目指す層」をターゲットとする場合は、当然真逆の結論を商品化するでしょう。

 

さて。
ここまで読んで、嫌な気分になったのではないでしょうか。
それは貴方が「外的な絶対性」という幻想を捨て切れていないからです。

「正しさ」という「外的絶対性」を「商品化」という言葉で「相対化」する。

ここに、不快を感じる訳ですね。

 

しかし、外的絶対性など、最早存在しないのです。
なぜなら「共通の目的」が失われたのですから。
そして「共通の目的」がないならば「認識を共通化」する必要もない。

そこには「客観的な正しさ」など存在しません。

各々の「お気持ち」がすべて。

 

SNSで不毛な論争が生じるのも、マウントの取り合いになるのも、人々が「外的絶対性」という幻想を捨て切れていないからでしょう。

外的絶対性が無ければ、そもそも「価値の序列」も存在しません。

論争もマウンティングも、生じようがない。

単に「お気持ち」を表明し合ってるだけですからね。

逆に「外的絶対性」を認めれば、必然的に「あるべき姿」が規定され、絶対的な「価値の序列」が発生する。

そこに自由はありません。

 

自由を希求すると同時に、外的絶対性も捨て切れてない。

そんな矛盾した存在が、私を含めた現代人なのです。

 

一つの事象に「真実」は無数に「重なり合って」います。
どの「真実」を取り出すか。
それは一人ひとりの「お気持ち」次第。

「人それぞれ」という言葉が、あらゆる外的絶対性を破壊していくでしょう。

 

そう、それが「お気持ち全盛時代」なのです。

 

近代は「科学」と「経済」の時代でした。

これによって「安全、便利、快適」を追求し、世の中が豊かになれば、みんな「幸せ」になれる。

この「共通の目的」を「外的絶対性」として、社会には「価値の序列」が生まれ、ヒエラルキーが生成されました。

 

より、頭のいい奴が偉い。

より、能力がある奴が偉い。

組織に貢献できる奴が偉い。

成長する為に努力できる奴が偉い。

 

「頭が悪い」という言葉が「悪口」になるのは「科学、経済に貢献する奴が偉い」という外的絶対性があればこそ、なんですね。

逆に言えば、その絶対性がないならば「頭の良さ」など無駄でしかない。

パンダにでもなった方が、余程いいでしょう。

「感じの良さ」ならパンダの圧勝ですしね。

 

閑話休題

しかし「科学」と「経済」には、重大な副作用がありました。

それは「あらゆる絶対性を、相対化する」副作用です。

科学は「自然を情報化」する事で。

経済は「自然を抽象化・商品化」する事で。

 

人間を含む、あらゆる自然を情報化、抽象化する。

これにより、自然は代替可能化、計算可能化、コントロール可能化した。

世界は脱魔術化した。

しかし、すべての絶対性は失われた。

 

最後に残った絶対性は「肉体」と「お気持ち」です。

しかし、科学と商品経済は、いずれそれらもコントロール可能化するでしょう。

肉体の商品化。

心、人格の商品化。

誰もがウサインボルトに、大谷選手に、釈迦に、キリストになれる時代。

これが、全ての絶対性が破壊された世界です。

 

人はこれに耐えられず、みな狂う事でしょう。

「お気持ち全盛時代」は、その前段階と言えるのかも知れませんね。