なぜ、そして、なぜならば

本題に入る前に、一言だけ。

当ブログの記事、コメント等は、すべてエンタメとして書いています。

エンタメとはつまり「面白さ」を最優先する、ということ。

私の考える「面白さ」とは「リアリティをギリギリ損なわない範囲で、出来る限り極端なことをいう」ことです。

チャットGPTの登場により「リアリティを損なわない範囲」が飛躍的に広がったため、「こいつぁ~面白れぇや!」と、あれこれ空想して楽しんでいるだけですね。

ですから、例えば「未来予想」を実際の「投資」に反映させるようなことは一切しておりません。

株式ポートフォリオの大半は、インデックス、半導体、インバウンド。

インデックスは「未来予想など不可能」と考えてのことですし、半導体、インバウンドは「予想するまでもなく」長期的に成長するのは分かりきっているからです。

万が一にも、私の「空想」を真に受けて「早まったこと」をせぬよう、お願い申し上げます。

 

それでは改めまして、記事の内容に入らせていただきます。

 

最近、チャットGPTの登場によって、テクノロジー界隈が、よく話題になりますね。

先日ご飯を食べている時も、たまたまカズレーザー(赤いスーツを着た芸人)の番組が流れたのですが、そこでも「AIと量子」が特集されていました。

量子については「重ね合わせ」と「量子もつれ」のザックリした概念だけは知ってします。

まあ、図書館で「ニュートン」という雑誌(文系にも優しいので好き)をパラパラ読んだ程度ですが^^;

そんな付け焼き刃の知識を、鼻高々で奥さんに話す私(笑)

俗物ですね〜。

それでも「すご〜い」と言って頂けまして。

えっへん、どんなもんだい!

と、威張っておりました。

低レベルな家庭ですいません(笑)

 

さて、この「重ね合わせ」という現象を説明する際に、私は一つのことに気が付きました。

…この「重ね合わせ」現象って、私の「世界観」を説明するのに都合がいいな。

「世界観」とは「"言語"と"世界"の関係性」のことです。

これについて、私は独特の考えを持っています。

これについて説明しだすと非常に長くなるのが分かりきっているため、誰にも話したことはありません。

これホントに書くんかいな、と今もウンザリしている所存です(笑)

私は「ステップ・バイ・ステップ」でしか書けない(抽象だと不安になる)ので、尚更です。 

ただ、やはり言葉の問題は避けて通れないんですよね。

今後おそらく、この「言葉」をめぐって、大きな混乱も予想されますしね。

頑張って書いていきます。

今日は、そのお話です。

重ね合わせとは

量子は、我々の常識では理解しがたい、ヘンテコな性質を持っています。

「重ね合わせ」もその一つです。

ザックリ言えば「複数の状態が同時に重なり合って存在しており、観察した瞬間、その状態が確定する」という現象です。

シュレディンガーの猫」という思考実験が有名ですね。

箱の中の猫は「生きている状態」と「死んでいる状態」が「重なり合って」おり、箱を開けて「観察」した瞬間、状態が確定する。

訳わかりませんね^^;

ただ、この「重ね合わせ」現象を利用した量子コンピュータが、着々と実用化されつつあるのも事実です。

0であると同時に1でもある量子ビットを用いれば、従来のコンピュータとは比較にならないほどの計算力が実現する。

いやはや、すごい事です。

「事実」も「重なり合って」存在している

さて、量子のお話はボロが出ぬうちに終わることにしまして…(笑)

この「重ね合わせ」現象に注目してみましょう。

先日「菜の花を食べつつ、ふと考えたこと」という記事を書きましたよね。

yuubinyasan.com

この中で、次のような記述があります。

例えば、ある人の行動を

「Aさんが、二つのリンゴを手に取った」

言語化したとしましょう。

一見、この上なく「具体的」にみえますが、これは紛れもなく「抽象概念」です。

「Aさん」も「二つのリンゴ」も、「名前」や「数字」「個数」といった概念(虚構)を共通認識としていることが前提です。

「Aさん」も「二つのリンゴ」も、現実には存在していないのです。

「リンゴを手に取った」という言葉も、Aさんの行動の一面を切り取ったものに過ぎません。

Aさんは「呼吸」もしているし「服を着て」もいるでしょう。

考え事をしていて、何気なくリンゴを手にしたのかもしれない。

目的をもって、そうしたのかもしれない。

それらの要素は全て捨象し、「リンゴを手に取った」という一面だけを切り取って、言語化したに過ぎないのです。

結局、言語化とは「事象のある一面を、共通認識を持つ他者に伝達するために抽象概念化」する、ということなのです。

はい、ここに「重ね合わせ」現象がありますね。

Aさんは「リンゴを手に取った」

しかし同時に「服を着て」もいたし「呼吸もして」いた。

Aさんには、複数の事実が「重なり合って」いますね。

この「事実」を細分化していけば、膨大な数に膨れ上がっていきます。

瞬きをしていた、心臓が動いていた、血流が発生していた、細胞分裂が行われていた…

原子レベルまで分解すれば、天文学的な数の「事実」が重なっている。

ここまで細分化されると、それはただの「データ」でしかありません。

人間が五感で捉え、認識することはできない。

Aさんという一人の人間も、この「データ界」においては「ある規則性を持ったデータの運動」に過ぎないのです。

つまり、人間は「事実そのもの」を認識することは不可能、ということになります。

当然ですよね。

原子は目で見えませんから(笑)

人間が「事実」を「事実」として認識するには、まず「五感で捉えることが出来る」必要があります。

カントが言うところの「感性」ですね。

情報を、言葉で「概念化」することで「事実」が生まれる

では、五感で捉えることが出来れば、人間は「事実」を認識できるのでしょうか。

…無理ですね。

例えば、Aさんが持っているリンゴ。

視覚で捉えた情報から「リンゴを持っている」という事実を取り出すには、そもそも「リンゴ」という「概念」を認識している必要があります。

概念とは、つまり言葉。

赤く、丸形で、つやつやしていて、甘酸っぱい香りのする「あれ」を

リンゴだっ!

と認識できるは、私たちが「リンゴ」という概念(言葉)を頭の中に持っているからです。

頭の中の「リンゴ」の概念と「視覚で捉えた情報」をイコールで結び付ける。

この時はじめて「リンゴを持っている」という事実が取り出せるわけです。

 

「服を着ている」という事実についても同様。

例えばあなたが、服を着る習慣のない裸族だったら?

Aさんが「服を着ていた」ところで、その事実を取り出すことはできませんよね。

「服」という概念が頭にないからです。

イコールで繋げない。

だから、事実を情報から引っ張り出せない。

 

カントの言う「悟性」ですね。

人間は、まず感覚で対象をとらえ、それを頭の中の概念と結びつけることで、無数に重なり合った事実のうち一つを取り出すことが出来る、ということです。

教養のある方とお話ししていると、一つの事象から素晴らしく多彩な「事実」を引き出してきますよね。

頭の中に、豊富な「概念」を持っておられるのでしょう。

本を読んだり、いろいろな経験を積んだりして、この「概念」をより多く修得することが大事、という事です。

概念化すると、情報量は圧縮される

さて、もう一つ重要な事があります。

それは「情報を概念化(言語化)し、"事実''として取り出す際、その情報量は大幅に圧縮される」という事です。

これも当然ですね。

リンゴの詳細な情報(糖度○度、色相と彩度がいくつ、体積○立方センチメートル…)を全て取り出すのは不可能でしょう。

情報量の99%以上は捨象(切り捨て)され、大雑把なリンゴの概念(赤く、丸形で、つやつやしているアレ)として取り出されます。

4K画像がファミコンのドット絵になる様なもんです(笑)

ものすごい圧縮ですね。

これは「情報から概念(言葉)として事実を取り出す」方法の大きな欠点だといえます。

情報の大部分が捨てられる。

更に悪いことに「人によって情報の取捨選択基準がまちまち」でもあります。

人間同士が「言葉」を使って情報伝達を行う際、これは大きな問題になります。

例えば「青リンゴもリンゴに含む」と考える人は「青」という要素を捨て、全て「リンゴ」という言葉に集約します。

しかし当然、世の中には「リンゴと青リンゴは別概念」と考える人もいる。

この二人が「リンゴ」という言葉を使うと、明らかに情報伝達に齟齬が発生する事になりますね。

この「齟齬」が頻繁に発生しているのがSNSでしょう。

言葉の定義を厳密に揃える事は、ほぼ不可能。

加えて「定義の不一致性」を意図的に悪用し、議論を望む方向に誘導する人も多い。

この様な「言葉」だけを使って議論や情報伝達を行うのですから、問題が起こらない訳がないですね。

切り捨てられた情報を「想像力」で補填する

言語化(概念化)の際、情報は大幅に切り捨てられる。

しかし、言葉にはそれを補う機能があります。

それは「想像力の喚起」です。

 

トンネルを抜けると、そこは雪国だった。

 

有名な一節ですね。

この短い言葉の繋がりだけで、脳内には「雪国」の風景がありありと浮かんでくるのではないでしょうか。

私には、列車のストーブ上の焼き芋の匂いまで感じられます(笑)

つまり「言葉」には、捨てられた情報を「想像力の喚起」で補わせる効果がある、という事です。

文学者なんかは、読者の想像力を喚起させるために、非常に巧みにレトリックを使いますよね。

 

…しかし困った事に、この「想像力」もまた属人的なのです。

同じ言葉でも「快」「不快」どちらに想像力が喚起されるかは人それぞれ。

受け手側の「過去の経験」や「環境」等によって、大きく変わってきます。

つまり「善意」から放ったつもりの言葉も「悪意」として受け取られかねない、という事です。

 

ここまでを、まとめます。

・ある事象には、無数の「事実」が重なり合って存在している。

・人間がそこから「事実」を取り出すには、まず感覚で捉える必要がある。

・次に「感覚で捉えた情報」と、頭の中の「概念」を結びつけることで、ようやく一つの「事実」を取り出すことが出来る。つまりこの時点で「重なり合った事実」が一つに確定する。

・情報の概念化の際、多くの情報は切り捨てられる。

・切り捨てられた情報は「想像力」で補えるが、それも属人的。

以上です。

「事実」そのものは認識することが出来ません。

「概念化」することが必要。

つまり、「事実」とは「解釈」なんですね。

では、どの「事実」が優先的に「取り出される」のか?

おいおい、今更カントかよ!

はい、ここまでの説明は、私のオリジナルでも何でもありません。

高校で「倫理」を選択した方にとっては、既知のことでしょう。

実は私、高校時代は理系だったので、倫理は未選択なのです。

カントを知ったのも最近でして^^;

あ~なるほど!「感性」「悟性」で分類するのね。さっすがプロ!

…というわけで、カントを参考に分類整理させていただきました(笑)

 

さて、では次の段階へ進みます。

ここから先は、恐らく私のオリジナルだと思います。

 

無数に重なり合った「事実」のうち、自分の頭の中にある「概念」と結びついたものだけが「取り出し可能」だと前述しました。

では、ここで問題です。

ある事象から一人の人間が取り出せる「事実」には限りがあります。

例えば…

Aさんが二つのリンゴを手に取った。

もしあなたが、この事象を目撃したら、いくつの事実が取り出せるでしょうか。

・リンゴを手に取っていた。

・服はユニクロっぽかった。

・時間帯は〇時頃だった。

様々な「事実」が重なっていますが、よほど注意深く見ない限り、「事実」として取り出せるのは一つでしょう。

もっとも強く印象に残った、一つ。

つまり人間は、何らかの優先順位に基づいて、事象から「事実」を取り出している。

では一体、その「優先順位」は、どの様なものなのか?

仮説1 「自分に都合がよい事実」優先

まず考えられるのが「自分に都合の良い事実」の優先です。

俗にいう確証バイアスですね。

もし自分が、そのリンゴの栽培農家だったなら。

おっ!おらが作ったリンゴが人気だべ!

こうなるのが、人情でしょう(笑)

この人は「自分が作ったリンゴが人気」という「事実」を(少々の希望的観測を含めて)取り出しました。

もう一つ、例を挙げましょう。

私は普段、多くの荷物を配達しています。

その多くは、Amazonなどのネット通販関係です。

皆さんも使っておられると思います。

便利ですよね~。

私もAmazonを配達することで、お客様の「便利、快適」に貢献していることになります。

しかし。

もしネット通販が存在しなかったならば、そのお客さんは、どこに買い物に行っていたでしょうか。

そう、地元のお店ですね。

地域のみんなが通販ではなく、地元のお店で買い物をすれば、そこには多くのふれあい=コミュニケーションが生まれていたことでしょう。

あら、またゲーム買うの?!勉強も頑張らないとだめよ!…でもお母さんにもやらせてね(笑)

家族で買い物に行けば、親子でこんな会話も。

ネット通販では、このようなコミュニケーションは生まれません。

自分一人でワンクリック、で買い物完了ですから。

地元のお店も潰れ、地域のふれあいの場も減っていく。

ネット通販が、地域社会、家族といった「共同体」を破壊したと言えます。

通販の荷物を配達する私も、その片棒を担いでいることになります。

つまり、

①お客様の「便利、快適」に貢献

②お客様の「地域社会、家族」を破壊

私が「通販の荷物を配達する」という行為には、「貢献」「破壊」という正反対の「事実」が重なり合っている、といえます。

いわゆる「合成の誤謬」ですね。

うミクロレベルでは「合理的行為」であっても、それが積み上がったマクロレベルでみると「非合理的行為」になる。

このように「ミクローマクロ軸」や「時間軸」を「操作」することで、全く異なる「事実」が浮かび上がってくるわけです。

上手く「軸」を操作すれば、同じ「行為」を「善」とも「悪」とも言える。

ひ〇ゆき氏は、この操作がお上手ですよね(笑)

…すいません、話を戻しますm(__)m

で、配達員である私は、どちらの「事実」を取り出すか。

当然、①お客様の「便利、快適」に貢献、ですね。

それが「自分に都合がいい」事実ですから。

「社会に貢献している」という意識なくして、人は仕事をできないのです。

 

ー「自分の都合のよさ」が、取り出す「事実」の優先順位を決定づける要素であるー

 

一つの仮説として考えられますね。

仮説2 空気=同調圧力

前述の「軸」の操作をはじめ、いろいろなテクニックを使用することで、物事はどうとでもいう事が可能です。

では、ある事象を「善」または「悪」と判断する際、どのような要素が影響しているか。

これは空気=同調圧力が大きいのではないでしょうか。

SNSを見ていると、これを強く感じます。

最初は「空気」の読み合いから始まり、一旦「こいつは善or悪にしよう!」という流れが出来ると、一気に一つの方向に濁流化する。

不思議なことに、一方に流れ始めると、みんな取り出す「事実」が一様化するんですよね。

例えば、

「大谷さんは、絶対善」

「スシローペロペロは、絶対悪」

この二つは、全く同じメカニズムから発生しているように思います。

私は、すごく不気味に感じるんですよね。

何とかならないものか。

誰のどんな発言・行為に対しても、賛意7割、批判3割くらいが丁度いいんじゃないでしょうか。

「ユニバーサル・ひろゆき」的なデジタルヒューマンを大量生成して、あらゆる空気(イデオロギー)を中和していただきたいものです。

仮説3 「なぜ、なぜならば」引力

では、ほかに考えられるのは?

…実は私には、大本命の仮説があります。

ズバリ!

取り出す事実の優先順位は「なぜ、なぜならば」引力に基づいて決定される。

これです。

なんやねん、その「なぜ、なぜならば」引力って。

はい、ご説明いたします。

先ほどの「Aさんが二つのリンゴを手に取った」の例で考えましょう。

これを近所の奥さんが目撃したとします。

もし、この奥さんが「Aさんは、半年前に余命2か月と診断された」という情報をもっていたら、どうでしょうか。

あんら~!!Aさん、まだ生きてはったんや!

そう、真っ先に「Aさんは、まだ生きていた」という事実を取り出す筈です。

「二つのリンゴ」の事など、気にも留めない。

なぜか?

そう、答えは「なぜ」です。

Aさんを目撃した際、その人は「なぜ?」という疑問を持ったはず。

なぜならば「半年前に余命2か月と診断された」という情報と矛盾するからです。

魅力的な謎=ミステリーが誕生しました。

このミステリーを解決すべく、奥さんは名探偵の如く聞き込みをするでしょう。

Aさん本人に直接聞くかもしれないし、その家族に聞くかもしれない。

「なぜならば」を求めて。

つまり、理由をいち早く発見するために。

これが「なぜ、なぜならば」引力です。

「なぜ」と「なぜならば」は極めて強力に「引かれ合って」いるのです。

なぜか?

なぜならば(笑)、「なぜ」と「なぜならば」が頭の中で結びついた瞬間、そこには強烈な快感が生まれるからです。

一種の「アハ体験」的快感に近いかもしれません。

この快感をメインに据えたのが、ミステリー小説です。

物語の各所に「なぜ」を仕込み、終盤で一気に「なぜならば」を開放!

快感!ですね(笑)

私も少年時代から、ミステリー小説の虜です。

ミステリー小説に限らず、恋愛小説、純文学、ドキュメンタリーといった分野においても、ミステリー要素、つまり「なぜ」はよく使われます。

「なぜ」を効果的に配置することで、読者は「なぜならば」に向けて夢中になって読み進めるのです。

人間は因果推察が大好きなんですね。

逆に言えば「因果推察が好きな個体が、生存競争に有利だった」とも言えます。

確かにみんな、噂話大好きですもんね(笑)

「なぜ、なぜならば」の、もう一つの効用

Aさんを目撃した奥さんが「なぜならば」を突き止めた時、大きな快感を得るでしょう。

治療が奇跡的にうまくいって、寛解に持ち込めたのよ。

そうだったのか!

奥さんはご満悦です。

そして、奥さんは次の行動に出るでしょう。

Aさんね、余命幾ばくも無いって話だったでしょ?でも私、Aさんが元気に出歩いてるの見ちゃってさ。で、なんで!?って聞いてみたのよ。そしたらさ、治療が奇跡的にうまくいったんだって。よかったよねぇ~。

こんな感じで、知り合いの奥さんに言いふらすでしょう(笑)

なぜならば、魅力的な「なぜ、なぜならば」を仲間に提供できた人間は、その仲間内での「評価」が上がるからです。

これが「なぜ、なぜならば」の第二の効用です。

①「なぜ」に対する「なぜならば」を発見した際、まず本人が強烈な快感を得られる。

②それを仲間に提供する事で、仲間内での序列も上がる。

このような二つの効用があるわけです。

奥さんの仲間内では「Aさんが寛解した」という「事実」が「共通認識」として共有されました。

奥さんは、鼻高々です。

自分が取り出した「事実」を元に「なぜ、なぜならば」を結びつけ、それが仲間内の「共通認識」へと昇華したのです。

奥さんの序列は大幅アップ。

めでたし、めでたし。

まとめ

では、まとめます。

①ある事象には、無数の「事実」が重なり合って存在している。

②人間がそこから「事実」を取り出すには、まず感覚で捉える必要がある。

③次に「感覚で捉えた情報」と、頭の中の「概念」を結びつけることで、ようやく「事実」を取り出すことが出来る。

④一度に取り出せる「事実」には限りがあるため、それは優先順位に基づいて行われる。

⑤最優先と思われるのが「なぜ(認識する情報、概念との矛盾)」を想起させる「事実」

⑥「なぜ」と「なぜならば」を結びつけたとき、人は大きな快感を得る。

⑦その事実を仲間内に提供し「共通認識」となった場合、提供者の地位が上がる。

 

⑤~⑦については「陰謀論」発生メカニズムの一つの側面にも見えます。

現代においては「リアル」と「バーチャル」の比率が、後者寄りに大きく傾いています。

その「バーチャル」空間でやり取りされるのは「言語」という抽象物です。

言語=抽象ということは、都合の悪い部分を捨象し、巧妙にロジックを組むことで、実際には存在しない「なぜならば」を作り上げることも可能だということです。

「なぜならば」が「事実」から急速に乖離しつつあります。

Aさんの事例のように「リアル」空間での出来事ならば、このようなことは起こりにくい。

それこそ、Aさんの葬式でも出ていれば「あれ、あの奥さんの言ってたこと、おかしくない?」となり、仲間内の誤った「共通認識」も速やかに修正されるでしょう。

誤った「事実」を伝えた奥さんの「評判」は下がり、制裁を受ける。

このように「共通認識」の軌道修正が行われます。

しかし、いまや「リアル」に対して「バーチャル」空間が圧倒する時代です。

このような修正メカニズムは機能しないでしょう。

 

AIによる、巧妙なフェイク画像も増えました。

また、テクノロジーが人間の手を離れて「再魔術化」するにつれ、「エビデンス」も次第に軽視されるようになる。

エビデンスの頸木から逃れた「なぜならば」は、より多くの「共通認識」を獲得すべく、宗教戦争を繰り広げる事でしょう。

かつて「嘘を嘘と見破れる人でないと、ネットを利用するのは難しい」と言われました。

しかし、現代において「嘘」は急速に巧妙化している。

 

私たちは、大きな試練を迎えようとしています。