では、早速前回の続きです。
魔法が倒される前後では、大規模な「価値の再定義」が行われることが予想されます。
それに伴って発生する「新たな敵」はどのようなものが想定されますか?
この趣旨の問いに対し、チャットGPTは次のように回答しました。
魔王が倒された後の世界では、魔物に依存していた生活や経済システムが崩壊することが予想されるため、それに伴う社会的混乱や紛争なども「敵」として考えられるでしょう。
おお!
素敵な回答ですね。
魔王こそが「世界のあり方」を規定する本質であることを見抜いています。
チャットGPT、そしていずれ訪れるシンギュラリティーにより、現実世界においても極めて大きな「価値の再定義」が発生することが予想されます。
ここで今一度、
・魔王が倒される、とは、何を意味しているのか。
・魔王が倒された際の「価値の再定義」とは何なのか。
・そもそも魔王とは何なのか。
この辺について考えておくことは、意義のあることだと思います。
…と深刻そうに言ってますが、実際はエンタメとして思考実験したいだけです(笑)
今日は、そのお話です。
少年時代の二つの疑問
初代ドラゴンクエストが発売されたのは、1986年。
私は小学2年生でした。
もう夢中になって遊びましたね(笑)
頑張れば頑張るほど主人公が成長し、少しずつ倒せる敵や行動範囲が増えていく。
まさに冒険。まさにロールプレイング。
こんなゲームは生まれて初めてでした。
しかし、冒険を進めるにつれ、私には大きな疑問が湧いてきました。
①なぜ宿屋の宿泊料だけがインフレしていくのか。
②なぜ「最強の武器防具」は、武器屋で買えないのか。
この2点です。
①なぜ宿屋の宿泊料だけがインフレしていくのか?
ゲームバランスの都合でしょ
いや、そういうメタ視点は今回いらないから(笑)
ドラクエの住人になりきって考えましょう。
冒険が進むにつれ、なぜか宿屋の宿泊料だけが値上がりしていきます。
最初の街ラダトームと、次に訪れるであろうガライの街を比べてみましょう。
・ラダトームの街 宿泊料3ゴールド
・ガライの街 同 6ゴールド
いきなりの2倍です。
終盤のメルキドの街ともなると、50ゴールドまで値上がりします。
ジンバブエもびっくりのインフレですよね。(笑)
しかし、これだけなら私は疑問に思わなかったでしょう。
町それぞれの経済事情により、インフレが起こってるんだろうな。
そのように考えて終わりだったはずです。
しかし解せないのは、道具屋を始め、他の商店の商品が全くインフレしていないことです。
例えば「薬草」は終始一貫して10ゴールドのまま。
これはどうしたことでしょう。
宿泊料だけが値上がりし続ける、ということがあり得るのか。
そりゃ、需要と供給の関係だろうよ
普通に考えると、そうでしょう。
しかし、よく考えてください。
宿屋に泊まる頻度が高いのは、どう考えても序盤でしょう。
それこそ、スライムと4~5回戦うごとに泊まっていたはず。
ほかに回復手段がないからです。
ホイミも覚えていないし、薬草も手持ちが乏しい。
「需要と供給」の観点から考えれば、むしろ序盤こそ宿泊料が高くなるはずなのです。
絶対おかしいわ~。宿屋のジジイども、絶対なんか企んどるやろ
こんな感じで、少年時代の私は大いに疑問に思い、立腹していました。
②なぜ「最強の武器」は、武器屋で買えないのか。
初代ドラクエで、武器屋で買える「最強の武器」は「ほのおのつるぎ」です。
しかし、ゲーム内の「最強の武器」は、これではありません。
これこそが真の「最強の武器」なのです。
…おかしくないですか?笑
「96式艦戦」より「ゼロ戦」が強い。
「ゼロ戦」より「4式戦(疾風)※」が強い。
当時「軍オタ」だった私にとって、これは常識です。
※四式戦は艦戦でないので、一概に比較はできませんが。
武器屋で売っている「最新テクノロジー」を駆使した武器より、何百年も前の「古の」武器が強いなんて、ありえないわけです。
いや、ぜって~おかしいって!宿屋も武器屋も、結託してなんか企んでんだろ
チャットGPTに聞いてみよう
①なぜ宿屋の宿泊料だけがインフレしていくのか。
②なぜ「最強の武器防具」は、武器屋で買えないのか。
この2点の疑問を解決する、整合性のある仮説を考えてみましょう。
いや、需給で考えたらダメなんだって。
う~ん…
「なるほど」なんてノリノリで答えてる割には、イマイチです^^;
ちょっと「妄想力」が足りないですね~。
宿屋&武器屋の陰謀だろ?!
少年時代の私が導き出した答えが、これです。
すべては、宿屋&武器屋の陰謀である。
冒険者たちを妨害するため、意図的に宿泊料を釣り上げ、より強力な武器を開発しながらも隠しているのだ。
なぜ、そのようなことをするのか。
魔王が倒されると都合が悪いからだ。
宿屋は、冒険者たちが魔物に傷つけられるからこそ存在している。
武器屋は、討伐すべき魔物が存在しているからこそ存在している。
つまり、魔王がお客様を生産しているのだ。
てことは、魔王がいなくなったら、みんな失業じゃん!
こう考えたわけです。
ちなみに道具屋がインフレせず、宿屋だけがそうなるのは「客層」によるものです。
道具屋は地元民も利用するが、宿屋は冒険者しか利用しません。
目的は「冒険の妨害」ですので、宿屋だけがインフレする、という解釈です。
ひねくれた子供ですね(笑)
なぜこんなひねくれた考えを持つに至ったか。
これは推測ですが、私は小さい時から推理小説が大好きだったんです。
最初の出会いは、近所の児童センターでした。
背表紙に気味の悪い仮面男が描いてある、例のやつです(笑)
もう夢中で読みましたね。
ラストシーンで名探偵が、作中に張りめぐらされた伏線を一気に回収する。
これがまあ、快感だこと。
読み返してみると、何気ない日常の中に、絶妙に伏線が隠されているわけです。
この「日常の中の伏線探し」が、私に影響与えているのでは。
そう解釈しています。
魔王こそが、世界を規定している
この「宿屋&武器屋陰謀論」は、言うまでもなく、ただの妄想です。
しかし!
妄想はバカには出来ません。
この視座を仮固定してドラクエの世界を眺めると、ある面白い解釈が浮かび上がってきます。
それは「魔王こそが、世界を規定している」と言う解釈です。
どういうことか。
ドラクエにおいては、武器屋、宿屋といった商店に限らず、戦士、僧侶、魔法使いといった職業も、すべからく「魔王討伐」が「目的」ですよね。
魔王がいなくなれば、みんな失業です(笑)
力、素早さ、賢さといった能力パラメータも同様。
魔王討伐と言う目的に向けて、経験値を積み、これらの能力パラメータを成長させていく。
つまりレベル上げ。
ドラクエの大きな要素ですね。
これも魔王がいなくなれば、意味を失います。
魔王いればこそ輝く能力です。
道具屋で売られている商品にも注目してみましょう。
毒攻撃をしてくる魔物が多いエリアでは「どくけしそう」が。
麻痺攻撃をしてくる魔物が多いエリアでは「まんげつそう」が、売られています。
需要と供給ですね。
魔法についても、前者のエリアでは「キアリー」が、後者では「キアリク」が重用されるでしょう。
これらの道具や魔法を生産したり身に付けたりした人間が重用され、尊敬される。
それによって、やがてヒエラルキーが形成される。
「能力パラメータ」についても同様。
物理攻撃が有効なエリアでは「力」が、魔法攻撃が有効なエリアでは「かしこさ」が重視されます。
当然、前者の社会では「戦士」「武闘家」が、後者の社会では「魔法使い」が、みんなの尊敬を集め、ヒエラルキー上位にランクされる。
つまり、出没する魔物によって人々の「精神」や「社会階層」が規定される、という事です。
魔王(魔物)によって、経済の方向性が規定され、「職業」や「能力」が規定され、人々の「精神」や「社会階層」が規定される。
言ってみれば、ドラクエとは「人間の「存在意義」自体が、すべて魔王に規定されている」世界なのです。
魔王に依存しきっている社会。
逆に言えば、魔王が倒されれば、経済システム、社会階層から「人の生きる意味」まで、すべてが崩壊し、再定義を迫られるという事です。
魔王とは何者なのか?
ここで、今一度考えてみます。
「魔王」とは一体なんなのか?
その思考の手がかりとして、「魔王」が倒された後の世界を想像してみましょう。
魔王が倒されると、価値の順列は一変します。
前述の通り、すべての価値の順列は魔王よって規定されていたからです。
具体的に見てみましょう。
まず、旧世界でヒエラルキー上位にランク付けされていたものは、ことごとく転落します。
強力な攻撃力を持つ勇者、戦士。
同じく、強力な魔法を使える賢者。
平和な世界においては、この人達は「恐ろしい力を持った化け物」です。
終戦後の日本における「特攻崩れ」みたいなもんですね。
「御国を守る軍神」と崇められてきた特攻隊員たちは、一夜にして「軍国主義者」「人殺し」と罵られる存在となりました。
この価値順列の180度転回に元特攻隊員たちはついていくことができず、その多くは酒浸りになり、犯罪者へと転落していきました。
特攻隊員たちの社会的地位は、皮肉にも「鬼畜米英」によって規定されていた、という事です。
敗北が決定的になったにもかかわらず、軍部が「1億特攻」を掲げ、徹底抗戦を叫んでいたのも、この「価値順列の転回」を恐れていたからでしょう。
彼らは最後まで「国体護持」「戦争犯罪人を自分たちで処罰する」という条件にこだわっていましたしね。
ヒエラルキーが崩れるくらいならば、日本民族ごと道連れにしてやれ、という発想です。
似たようなことが、これから世界中で起こるでしょう。
楽しみですね。
すいません、話を戻しますm(__)m
魔王が倒された後の世界を、もう少し想像してみましょう。
まず起こるのは、人口爆発です。
旧世界においては、多くの人々が魔物に殺されていました。
ドムドーラのように、魔物に滅ぼされた街もあるくらいですからね。
その天敵である魔物が全滅したのです。
人口は爆発的に増加するでしょう。
「毛主席のスズメ退治」と同じ理屈です(笑)
すると、次に起こるのは猛烈な食料不足でしょう。
ドラクエの村を見る限り、大規模な農地は見当たりません。
魔物が徘徊しているため、開墾できなかったのでしょう。
逆に言えば、魔物によって人間が間引きされていたため、食料不足が発生しなかったということです。
そして「間引き」がなくなった世界で、人間の死因ナンバーワンとなるのは「餓死」になる。
皮肉なものです。
食糧増産が間に合わない国々は、活路を「略奪」に求めるでしょう。
「戦争」の頻発です。
都市部においては、人口過密によって衛生状態が悪化し、「疫病」が流行る。
「飢餓」「戦争」「疫病」
おや、どこかで見覚えのある面面ですね。
そう、人類が長年にわたって戦ってきた「魔王」です。
そして、この新しい「魔王」の登場により、ヒエラルキー最下層に沈んでいた勇者、戦士、賢者、武器屋等が「復権」する事になります。
グダグダになっていたヒエラルキー構造自体も、新たな「魔王」によって再構築されます。
人々も「存在意義」「生きる意味」を取り戻す。
めでたし、めでたし(笑)
魔王とは「欠乏=有限性」の象徴
さて、ここまで考えると「魔王」の正体がわかってきましたね。
「魔王」とは「欠乏」の象徴です。
旧世界においては、全ての「欠乏」が「魔王」によって引き起こされていました。
安全、安心の欠乏。
命の欠乏。
移動の欠乏。
楽しさの欠乏。
自由の欠乏。
欠乏とは、つまり「有限性」の事ですね。
魔物によって、人間の生活には強い欠乏=有限性が発生している。
これらの欠乏に対し、人間はテクノロジーを発展させ、生産によって欠乏を克服しようと努力する。
テクノロジーとは「レベル上げによるパラメータ上昇」や「武器防具の開発」。
生産とは「魔物退治」を指します。
魔物を倒すと「経験値」と「お金」が発生し、「魔物に殺される人が減る」という「価値」も生まれますからね。
まさに「生産」です。
「魔王」が倒され、「飢餓」「戦争」「疫病」という新たな魔王が発生しても、この基本形は変わりません。
人間生活の欠乏=有限性を「生産」によって拡張する。
これが基本形です。
現代においては、生産性の向上により「飢餓」「戦争」「疫病」はほぼ完全に克服されました。
私が現代を「終わったドラクエ」と表現してきた理由です。
それでも「生産」の拡張、つまり経済成長は必要です。
資本主義は止まらないのですから。
飽食によって太った体に対し「真の幸福は、スリムな体型に宿る」と煽り、エネルギーを消費する為だけの工場(スポーツジム)を作る。
「健康」の定義を狭小化する事で「病気」を増やし、薬や医療サービスを消費させる。
「幸福」の定義を定期的に変更し、人々を右往左往させる事で消費を促す。
この様なマッチポンプ的手法により、生産と経済成長は継続されてきました。
幻の「魔王」を投影してきた訳です。
AIという究極の勇者
そして今。
AIという、究極の「勇者」が出現しました。
人間生活における欠乏=有限性は、ほぼ完全に失われます。
AIによる生産性の爆発的な向上と、それに伴う代替可能化により、生産手段は「大企業」から「ベンチャー企業」へ、さらに「優秀な個人」へ、そして最終的に「一般大衆」へ移る事になります。
その辺の普通の大衆が、一流アーティスト並みの創作を容易に行う。
その様な時代が、迫っています。
生産手段の完全な民主化。
マルクスの予言した共産社会の到来です。
人間は、有限性を失おうとしています。
例えば、人間が追い求めてきた「幸福」
こんなものは、テクノロジー(電気刺激)によって容易にコントロール可能になるでしょう。
心の商品化、です。
憧れのアーティストの創造力をコピーし、その辺の一般大衆が「作者以上に作者らしい」新作を「生産」する事もできる。
「人的資本」の「共産化」です。
「創造」という属人的な人的資本も、たちまち「共有財産化」する、という事です。
人間にしか見えない外見を持ち、人間そのものの感情を持つ様に見えるデジタルヒューマンを生産する事もできる。
ARグラスを掛ければ、共に実世界で「生活」し、コミュニケーションもとれる。
故人を復活させてもいいし、憧れの人をコピーしてもいい。
自身のデジタルHumanを作成しておけば、少なくとも第三者的には、つまり社会的には不老不死になります。
肉体が滅びた後も「デジタルの方」は、社会的活動を続けるのです。
加齢によって容姿、思考能力が衰える一方の「肉体の方」
対して、全盛期を維持し続ける「デジタルの方」
いつしか人々は、後者を「その人」とみなすようになる。
「肉体の死」には、家族ですら関心を抱かなくなるでしょう。
あー、肉体のほうの親父、いつの間にか死んでたんだ、なんて(笑)
でも恐れる事はありません。
電気刺激と薬物により、脳には「感動的な旅立ち」が演出投影され、死の恐怖からは完全に解放される。
極楽浄土、天国、輪廻転生。
メニューは選択可能です。
人々の死生観は一変し、「人の一生」は相対的にインスタントなものになるでしょう。
25歳あたりでデジタルヒューマンを作成するまでが「肉体の役割」であり、以降の社会的活動は「デジタルの方」に一任する、と。
その方が環境負荷が低いですからね。
25歳定年後の「肉体の方」は、環境負荷の高い「地球のお荷物」になるので、大人しくVR空間に引き篭もる事が推奨されるでしょう。
25歳で「限界高齢者」扱いになる(笑)
すごい世界です。
ドラクエで言えば「魔王が倒される」どころではなく「プログラム編集の自由化」です(笑)
何でも自由にできる。
最初からレベル99にもできる。
いきなりエンディングも見れる。
ストーリーを好みに編集する事もできる。
その様な世界です。
さて。
有限性を失った世界。
人類が史上初めて直面する世界です。
人間は果たして、その時何を選択するのでしょうか。
あ~長かった…
ここまで読んでくれた皆様、ありがとうございました。
楽しんで頂けましたでしょうか。
しばらく、文章書きたくない(笑)