過去記事の解説①「投資の成否を分けるのはエネルギーである」について

ものすごく今更ですが、過去記事の解説(相対化)をしたいと思います。

まずは、この記事。

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会社員時代はストレスという強烈な負の感情が蓄積されているときに、逆にブログを書くエネルギーに昇華させることで、筆が進むこともありましたが。

三菱サラリーマンが株式投資セミリタイア目指してみた 2022年8月11日記事「考えるより、まず手を動かす」より引用

この三菱サラリーマン氏の記事に対し、私は次のように述べています。

「会社員」という環境から生じる「負の感情」を「エネルギー」へと昇華させ、自分の「目的」への推進力として利用する、という事ですね。

大変、共感致しました。

この時点で、鋭い方は「微妙な違和感」を感じていたのではないでしょうか。

もし三菱氏がこれを読んでいたならば

「な~んか自分が言わんといていることと、ズレてんな」

と感じていたはずです。

「負の感情」に対して、妙に積極的ですよね。

そう、その違和感は正しいです(笑)

読み進めてみましょう。

例えば、会社で「嫌な上司」がいるとしましょう。

この上司に、ネチネチと嫌味を言われました。

待ってました!「燃料」の投下ですね(笑)

ど~んと発電できます。

…しかし「嫌な上司」が、その役割を安定して全うしてくれることは、実は稀です。

大抵の場合「フォロー」を入れてきます。

最悪の場合「一緒に飲みに行って、腹を割って語り合う」羽目になる可能性もあります。

この時点で、違和感はピークに達するはずです。

私はこの後、

・エネルギーを安定生産するためには、敵を「個人」ではなく「概念」にする必要がある。

・概念は、より上位のものが望ましい。下位概念だと「自分自身も犯人側だった」等、藪蛇になる危険があるため。

・「道徳」という上位概念を敵認定して、エネルギーを安定生産しよう♪

このようにロジックを展開し、結論を出しています。

 

さて、では問題です。

この記事に感じる「違和感」の正体は、いったい何なのでしょうか?

はい、そうですね。

この記事は、そもそもロジックの「基準点」がズレているのです。

解説しましょう。

三菱氏は「自分の気持ち」に基準点を置いていますよね。

「負のエネルギー」は、あくまで副次的なものです。

これは三菱氏の元記事や参考記事を読むと、より鮮明に分かります。

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①会社で嫌な事があった。

②自分の気持ちがネガティブな方向に向かうのを避けるため、その思いをブログに執筆

③すると、そのブログが誰かの役に立ちうる、共有知になる。

④みんなの役に立てば、自分もハッピーになる。

このような流れです。

「自分の気持ち」が「主」で、「負のエネルギー」は「従」です。

ところが私の記事は、この関係性が逆転します。

「負のエネルギー」が「主」になっています。

つまり、基準点が「負のエネルギー」に置かれているため、目的が「それを如何に効率的生産するか」に変質しているわけです。

◇三菱氏の「基準点」と「目的」◇
基準点:自分の気持ち
目的 :みんなの役に立って、自分もハッピーになる
 
◇私の記事の「基準点」と「目的」◇
基準点:負のエネルギー
目的 :いかに効率的に負のエネルギーを生産するか
 
「目的」によって、「価値の順列」は決定されます。
以前記事にしましたよね。

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私の記事の場合「目的」が「負のエネルギーの効率的生産」と、それによる「資産形成」になっているため、「他人」を含むすべての物が「利用すべき手段」になっているわけです。

「人と人」の関係性が、「エネルギー生産と、その燃料」という「概念と概念」の関係性に変質している。

これによって、人間本来の姿からの疎外が発生してます。

さらに言えば「自分の気持ち」からも疎外されている。

 

これからは「自分の気持ち」の時代だ!自分に都合の良いことが全てだ!

私はそう言ってきましたね。

しかし、その「自分の気持ち」を満たすための手段であったはずの「資産運用」や「負のエネルギー」がいつの間にか目的化し、逆に「自分の気持ち」を支配する疎遠な力として働いている。

この記事は、そんな人間の悲しい性を表現しているです。

 

そしてもう一つ。

この記事では「サイコ的な不気味さ」を表現したかったんですよね。

他人の記事に「共感した」といいつつ、何かがズレている。

ロジック自体は理路整然と繋がっているものの、根本的な「何か」がおかしい。

この違和感の正体は、いったいなんだ?

 

こういうの、大好きなんです(笑)

最近では、貫井徳郎の「微笑む人」とか最高でしたね。

「本の置き場がなかったから」という理由で妻子を殺した男。

男はエリート銀行員で、誰からも「いい人」と評される人物でした。

「なら、こいつはサイコパスだ」と思いますよね。

私たちは「理解できないもの」を何とか「型」に当てはめて、安心しようとしますから。

しかし、筆者はこれを端から否定します。

精神鑑定の結果、男に精神異常は認められなかったのです。

しかし、彼の過去を洗っていくうちに、その周辺で異様な不審死が発生していることが判明します。

たった1年、早く昇進するために人を殺したのか?

たった1万円のテレビゲームを手に入れるために、同級生を殺したのか?

しかし、男の精神は「正常」。

一体、この男は「何」なのだ。

 

どうです?

わくわくしませんか?

 

結局、人を「客観的に」理解することなど不可能なのでしょうね。

全ては主観というフィルターを通した「虚像」にしかすぎないのだから。

 

…ということで、過去記事解説第一段でした!