今日は、仕事お休みです♪
この機会に、愛車(自転車)のブレーキシューを交換しました。
かれこれ、十数年乗っているクロスバイクです。
やっぱり、メンテナンスすると快適ですね。
気を良くした私は、地元の街をぶらり。
サイクリングすることにしました。
私の住む街は、とにかく寺院が多いです。
数えたことはありませんが、徒歩圏内に50以上はあるんじゃないでしょうか。
なんせ、一時期は「一向衆の持ちたる国」でしたからね。
一向一揆軍の大将として、織田信長と戦い、敗れた住職のお寺も近所です。
お寺が経営する幼稚園なんかもあり、生活にも溶け込んでいます。
少年時代、夏休みのラジオ体操はお寺でやりましたし、遊び場としても散々お世話になりました。
なんせ、家の両脇がお寺と神社でしたからね(笑)
ちなみに、写真のお寺の近くには、昭和天皇がお気に入りだった蕎麦屋があります。
こちらも、築百年以上の味わい深い建物です。
…というか、この辺り一帯は築百年以上の家屋ばかりですが(笑)
やっぱり私は「焼けてない街」が好きですね。
空襲に遭っていない街、ということです。
道幅が狭く入り組んでいたり(卍型の道なんかもある)、唐突に行き止まりだったりと、モータリゼーション社会には適応していません。
日当たりも悪いしね。
でも、この味わい深さは捨てがたい。
上手く言えませんが「意味が多層的」なんですよね。
「焼けた街」の整然とした街並みは、確かに合理的です。
「戦後社会」という一時代に適応した「意味」で出来ている、という事です。
例えば「車が通るから、道幅は広くまっすぐに」と。
逆に言うと、意味が平面的ですよね。
対して「焼けてない街」は、何百年という時代時代における、様々な「意味」が折り重なっているんです。
例えば「卍型の道」「唐突な行き止まり」は、「敵軍が攻めてきた際の防御」という意味があります。
この意味は、現在では意味を失っています。
無意味です。
しかし、その無数の無意味が折り重なり、熟成すると「魔法が掛かったような、味わい深さ」になるんですよね。
私は、それが好きなのです。
私が生きた時代も、いずれ一枚の「無意味」として重なっていくのでしょう。
お昼ごはんは、近所の食堂で頂きました。
昔ながらの「中華そば」です。
私の街では、これが名物なのです。
鶏がらスープの澄んだ味わいに、浮かぶ一枚のカマボコがトレードマーク。
地味ながら、麵もチャーシューも自家製です。
写真は大盛ですが、洗面器かと見まがう大きさです(笑)
これで、税込み700円。
お安いですね。
20cmはあるであろう、特大ソフトクリームです(笑)
これで税込み130円!
この店の名物なのですが、先代(頑固親父)は機嫌が悪いと売ってくれなかったんですよね。
ソフトクリームだけ?ああ?お前には売らん!!みたいな(笑)
現在は娘さんが店主になっており、いつでも快く売ってくれます。
…ということで、何のオチもトリックもない、フツーの具体ネタでしたm(__)m
あ~明日から6連勤だぁ(;_;