投資の成否を分けるのは「エネルギー」である

三菱氏のブログ記事に、面白いものがあります。

freetonsha.com

会社員時代はストレスという強烈な負の感情が蓄積されているときに、逆にブログを書くエネルギーに昇華させることで、筆が進むこともありましたが。

「会社員」という環境から生じる「負の感情」を「エネルギー」へと昇華させ、自分の「目的」への推進力として利用する、という事ですね。

大変、共感致しました。

私も、同じ考えです。

私の経験上、エネルギー発電の「燃料」として最も強力なのは「怒り」です。

この「怒り」の持つ「機能性(高効率なエネルギー生産)」に注目し、有効利用すればよいのです。

先進国に住む現代人にとって、最も足りないのは「エネルギー」だと思います。

東南アジアを旅行すると、人々の「エネルギー」に圧倒されますよね。

何事かを成そうとする場合、その成否を分けるのは結局「エネルギー」でしょう。

投資でもそうです。

「入金力」「リスク許容度」「分析能力」「一歩踏み出す勇気」…

様々な要素がありますが、そのすべての土台となるのは「エネルギー」です。

これがないと、話になりません。

ちなみに、投資と「負のエネルギー」の相性は、とても良いです。

なぜなら、投資は基本的に「雰囲気に流されず、周りの人間と違う事をする」ことが求められるからです。

そのためには「怒り」「ストレス」等から生み出される「負のエネルギー」を利用するのが一番!ってことですね。

逆に「自分の嫌な経験を、みんなの共有知として役立ててもらおう」という目的ならば、「負のエネルギー」を「正のエネルギー」に変換した方が良いでしょう。

ただ、個人的には「負⇒正」の変換時に、どうしてもロスが生じているように感じてしまうんですよね。

「負のエネルギー」は、とても強力です。

個人的には「負は負」として、そのままの形で利用するのがおすすめです。

負のエネルギーは、発電が安定しない

強力な「負のエネルギー」ですが、欠点もあります。

発電が安定しないことです。

再生エネルギーみたいなもんです。

「太陽光」「風力」といった「燃料」が豊富な時間帯・季節にはど~んと発電しますが、これが無くなる夜間帯等になると全く発電しません。

「負のエネルギー」もそうです。

例えば、会社で「嫌な上司」がいるとしましょう。

この上司に、ネチネチと嫌味を言われました。

待ってました!「燃料」の投下ですね(笑)

ど~んと発電できます。

…しかし「嫌な上司」が、その役割を安定して全うしてくれることは、実は稀です。

大抵の場合「フォロー」を入れてきます。

最悪の場合「一緒に飲みに行って、腹を割って語り合う」羽目になる可能性もあります。

人間って、不思議なものですよね。

コミュニケーションをとったが最後、「嫌な上司」が「実はいい人」に脳内変換されてしまうのです(笑)

私はこの現象を「話せばわかるバイアス」と名付けてます。

5.15の時。

犬養毅首相の「話せばわかる」という言葉に対し、青年将校は「問答無用!」と一蹴し、殺害しました。

あれは、正しい行動ですね(目的達成という意味においては、ですよ)。

そう、「話せばわかってしまう」のです。

有名なストックホルム症候群も、その一種ですね。

kotobank.jp

ハイジャック等監禁事件の際、人質と犯人がコミュニケーションをとっている内に、お互いに「好意」が生まれる現象です。

人質が犯人に協力し、警察に銃を向けることすらあったといいます。

結局、人間はコミュニケーションをとってしまうと、相手を自動的に「いい人」に分類しちゃうんですよね。

で、「嫌な上司」に話を戻します(笑)

これが「本当はいい人」に脳内変換されてしまうと、困ったことになります。

燃料の喪失ですね。

そのくせ、また諍いが起きれば、一気に発電量が増大する。

「負のエネルギー」は蓄電できません。

太陽光のように、出力規制もできません(笑)

有り余った「負のエネルギー」は、使い道に困るのです。

発電が安定しない、とはこういうことです。

「人間」を直接燃料とするのはマズい

また、「嫌な上司」を直接燃料として利用すると、更に都合の悪い事が発生します。

それは「怒りの矛先が、嫌な上司自体に向かってしまいがち」ということです。

せっかくの「負のエネルギー」を、「嫌な上司」への攻撃(陰口等)で浪費してしまう、ということです。

これでは、本末転倒です。

なんのために「負のエネルギー」を発電してんだって話です。

あくまで「自分の目的」への推進力として利用せねば、意味がありませんよね。

職場の人間関係も、悪化します。

こうなると、日々の業務運行にも支障をきたすでしょう。

逆にエネルギーを消耗してしまいますよね。

上司に限らず、個人を敵に回すのは極力避けるべきと言えます。

その点、中国・韓国人は上手い

この「負のエネルギー」の扱いに長けているのが、中国・韓国人です。

私は以前、韓国を旅行したことがあります。

ご存じの通り、かの国は強烈な「反日」の国です。

私が日本人だとバレたら、どんな嫌がらせをされるものか…

最初は、相当警戒していました(笑)

しかし、現実は全く違うんですよね。

私が日本人だと分かっても、メチャクチャ親切かつフレンドリーに接してくれるのです。

街の食堂に入れば、おかずを一つ一つ説明してくれ、私が「美味しい」というと満面の笑みで喜んでくれます。

道に迷えば、通行人がとても親身になって教えてくれます。

これは、どういうことか。

つまり、彼らは「敵」を「概念化」しているわけです。

日本帝国主義」という、現存しない抽象概念を作り出し、それを「敵」として利用している。

中国人なんか、更に露骨らしいですよね。

激烈な反日デモを行ったかと思えば、翌日には普通に日本製品を愛用し、日本旅行を楽しんでいる。

つまり、どこまでも自分に都合よく「反日」を「エネルギー生産燃料」として利用しているのです。

反日」と「実際の日本人」を結びつけてしまうと、自分たちの商売や消費に都合が悪いことになる。

だから「日本帝国主義」という概念を「敵」として作り出す。

そして「個々の日本人には罪はない」というロジックで、ここから切り離す。

これによって「反日」をエネルギー生産に利用しつつ、日本相手の商売・消費はちゃっかり満喫する、というわけです。

見事な発電システムだと思います。

極力「上位概念」を敵認定しよう

労働者が陥りがちな罠は「直属の上司」を「会社(敵)」と見立てて、攻撃してしまうことです。

上記の通り、はっきり言ってこれはムダです。

私にも経験があります。

私はシフト表の作成・運行を担当しているのですが、これに不満を持つ班員が、私に文句を言ってくるわけですね。

しかし、肝心の要員配置に欠員が生じている以上、私にはどうしようもないわけです。

そして、その要員配置を決めているのは管理者です。

では、その管理者に文句を言えばいいのか?

違いますよね。

管理者だって、支社の要員企画が決めた数字に従うしかない。

その支社も、本社の命に従っているだけであり、本社は本社で、株主様の要求に従って利益を上げようとしているだけです。

その株主も「所有と経営の分離」により、何万人という個人株主に拡散している。

かつてのように、わかりやすい「欲深い資本家=経営者」という図式ではない。

つまり、どこまでいっても「犯人」など存在しないのです(笑)

後に残るのは「直属の上司」との関係悪化だけです。

ムダの一言です。

 

では「会社」という概念を「敵」として認定するか。

これも、突き詰めていくとマズいことになります。

要員が足りないのは、新規採用を見送らざるを得ないからです。

なぜか。

既得権益者に高い給料を払わねばならないため、人件費に余裕がないからです。

では、その既得権益者とは誰か?

そう、おっさん社員です(笑)

藪蛇になってしまう訳ですね。

敵は「会社」ではなく、更なる上位概念にする必要がある。

本当の「敵」は何なのか?

そう、それが道徳です。

私がこのブログで、終始一貫して「道徳」を攻撃しているのは、このためです。

「会社」も「嫌な上司」も、この「道徳」というラスボスによって操られた犠牲者である。

そう考えればよいのです。

「道徳」とは、いわゆる「空気」です。

大戦末期。

「志願」という美名のもと、多くの前途有望な若者たちが、特攻により命を落としました。

彼らを死に追いやったモノ。

それこそが道徳=空気です。

この憎きラスボスこそが、今なお日本を縛り、多くの人々を苦しめている。

このような世界観ですね。

「道徳」が相手ならば、いくら攻撃しても恨みを買う事はない。

訴訟を起こされることもない。

「道徳」と飲ミュニケーションはできないので、「本当はいい人」バイアスも発動しない。

向こうから攻撃してくることもないので「負のエネルギー」が有り余る事もない。

発電量のボラティリティが、一貫して低位安定しています。

つまり、安定して「負のエネルギー」を生産できるわけです。

正に核融合炉=夢のエネルギー源ですね。

私はこれを活用して、日々の「節約」や「投資」行動、そしてブログ作成等を行っています。

私は基本的に自堕落な人間なので、この「負のエネルギー」がなければ、日々を無為に、周囲に流されるままに生きていたことでしょう。

私が曲がりなりにも富裕層になれたのは「負のエネルギー」様様なのです。