先日の記事で「ここで間違ってしまうと、火垂るの墓の清太さんになってしまう」と述べました。
これが少々唐突で分かりにくいかな、と思いましたので解説します。
まず、アニメ版火垂るの墓はご存じですよね。
太平洋戦争末期、兵庫県武庫郡御影町に住んでいた清太とその妹・節子は6月5日の神戸大空襲で母も家も失い、父の従兄弟の嫁で今は未亡人である兵庫県西宮市の親戚の家に身を寄せることになる。
最初のうちは順調だった共同生活も戦争が進むにつれて、2人を邪魔扱いする説教くさい叔母との諍いが絶えなくなっていった。居心地が悪くなった清太は節子を連れて家を出ることを決心し、近くの満池谷町の貯水池のほとりにある防空壕の中で暮らし始めるが、配給は途切れがちになり、情報や近所付き合いもないために思うように食料が得られず、節子は徐々に栄養失調で弱っていった。
(中略)
戦後の物不足の中、清太はやっとの思いで入手した食べ物を節子に食べさせたが既に手遅れとなっており、節子は終戦から7日後の8月22日に短い生涯を閉じた。
以上が、あらすじです。
高畑は、兄妹が2人だけの閉じた家庭生活を築くことには成功するものの、周囲の人々との共生を拒絶して社会生活に失敗していく姿は現代を生きる人々にも通じるものであると解説し、特に高校生から20代の若い世代に共感してもらいたいと語っている。また、「当時は非常に抑圧的な、社会生活の中でも最低最悪の『全体主義』が是とされた時代。清太はそんな全体主義の時代に抗い、節子と2人きりの『純粋な家族』を築こうとするが、そんなことが可能か、可能でないから清太は節子を死なせてしまう。しかし私たちにそれを批判できるでしょうか。我々現代人が心情的に清太に共感しやすいのは時代が逆転したせいなんです。いつかまた時代が再逆転したら、あの未亡人(親戚の叔母さん)以上に清太を糾弾する意見が大勢を占める時代が来るかもしれず、ぼくはおそろしい気がします」と述べている。
高畑監督は、作品の意図として、このように語っています。
ここで重要なのは「兄妹が2人だけの閉じた家庭生活を築くことには成功するものの、周囲の人々との共生を拒絶して社会生活に失敗していく姿は現代を生きる人々にも通じるものである」の部分です。
作品を見ると分かるのですが、清太は節子以外には一切笑顔を向けません。
心配して声をかけてくれたり、配給の乾パンを取ってきてくれたりと親切な人は登場するのですが、その人に対しても一片の笑顔さえ向けないのです。
周囲の人、つまり共同体との関わりを拒絶しているということです。
好きな人(節子)と、好きな事だけやって生きている。
これはどういうことか。
清太さんは「現代っ子」なんですね。
生産力が向上し、モノが溢れ、相対主義化が進んで「自分の気持ち」が最優先になった現代。
あらゆるものが商品化され、共同体に頼らずとも「お金」さえあれば自由な消費生活が謳歌できる現代。
火垂るの墓は、そのような「自分の気持ち優先」の現代っ子が、戦時中の日本に放り込まれた場合、どのような経過をたどるのか。
これを描いた「思考実験」だと、私は解釈しています。
当然、マルクス主義の「経済(生産力)が人間の精神を規定する」という思想も理解していたでしょう。
生産力が極限まで発達した現代で「規定」された精神を持つ人間を、逆に生産力が極限まで破壊された戦時中に放り込んだら、どう反応するか。
マルクス主義者にとって、よだれが出るほど興味深い「実験」でしょう。
高畑監督は、「火垂るの墓」でこれをやったのでは、と私は考えています。
清太は、居候先の叔母さんに対しても、同様の態度を取ります。
「勤労奉仕に参加したら?」という忠告にも耳を貸さず、家の仕事も手伝いません。
当然、叔母さんとの人間関係は悪化し、日々小言を言われるようになります。
好きなことだけして生きていくのが、難しくなってきた。
さて、どうするか。
叔母さんの小言に耐えつつ、勤労奉仕という労働をすれば、日々食べていくことは出来ます。
その代わり「好きな人と、好きな事だけする」という「自由」は失われる。
手元には、両親が遺した預金7,000円と、母親の着物と引き換えに手に入れた数kgの米があります。
当時(昭和20年)の7,000円は、現在の150万円ほどになります(※)。
※企業物価指数(戦前基準指数)で換算
ーこのお金とお米があれば、二人だけで生きていけるのではないか。
横穴に住めば、住居費も掛からない。
そうすれば、叔母さんの小言も聞かなくて済むし、労働からも解放される。
好きな人と、好きな事だけして生きていけるのだー
もう、お分かりですね。
火垂るの墓は「戦時中に、資産150万円でFIREすると、どうなるか」という思考実験でもあるのです。
もちろん、高畑監督にその意図はなかったでしょうが^^;
叔母さんの家=会社
叔母さん=上司
勤労奉仕・手伝い=労働
日々の食事=給料
に、それぞれ対応しています。
資産150万円では少々心もとない気もしますが、清太としては「やがて戦争が終わり、出征中の父親が帰ってくる」という期待があったのでしょう。
ーそれまでの間しのげば、なんとかなるー
しかし、清太の読みは、当初から狂い始めます。
貨幣経済が崩壊していた
当時の日本は国家総動員法の下にあり、あらゆる物的資源は戦争遂行目的のために総動員されていました。
生活用品の生産は激減し、食料も軍への供出が優先されます。
海上輸送も機雷によって封鎖され、南方資源地帯からの輸送も途絶えました。
著しい供給制約です。
これにより、日本はもはや「お金をいくら積んでも、モノが買えない」状態に陥りました。
インフレどころの騒ぎではありません。
生産力が極限まで低下すると、貨幣経済自体が、崩壊してしまうのです。
作品中でも、お金で買えたのは、せいぜい「破れた傘」「欠けた土鍋」「わずかな野菜くず」程度でした。
生産力が低下すると、共同体の役割は高まります。
お金でモノやサービスが買えないとなると、物々交換、食料生産等、共同体での助け合いが必須になるからです。
逆に言えば、現代において共同体が崩壊したのは、高度に発達した生産力を背景にした商品経済と貨幣経済によるものです。
資本主義経済においては、あらゆるものが商品化され、お金で売買されます。
友人代行や、アマゾンの「お坊さん便」など、以前では考えられなかったものまで商品として売買されていますよね。
このような社会では、共同体に頼る必要はありません。
面倒な人付き合いなどしなくとも、お金さえあれば、あらゆるものが自由に購入できるからです。
お金さえあれば「自分の気持ち」を最優先に、「好きな人と、好きな事だけして生きる」ことが可能なのです。
…しかし、高度な生産力に「規定」された精神を持つ「現代っ子・清太」が放り込まれたのは、極限まで生産力が低下した、戦時下の日本でした。
「隣組」をはじめ、共同体の役割が極端に増大した、戦時下日本でした。
資産150万円は、紙くず同然です。
物語は破滅へと、真っ直ぐ突き進むことになります。
父親は、既に戦死していた
清太の第二の誤算は、父親の戦死でした。
これを知った清太は激しく取り乱し、絶望の淵に沈みます。
それもそのはず、清太のFIRE計画は「父親が程なく帰還し、自分達を保護してくれる」事が大前提だったからです。
この時点で、清太のFIRE計画は完全に破綻しました。
計画失敗が明白になっても、軌道修正せず
FIRE計画は、あえなく失敗。
しかし清太達には、まだ生存の道が残されていました。
再就職。つまり、叔母さんの家に戻る事です。
作品中でも「悪い事は言わんから、頭を下げてあの家(叔母さん宅)に置いてもらえ」と、親切に忠告してくれる人が登場します。
しかし、現在っ子特有のプライドの高さを持つ清太は、聞く耳を持ちませんでした。
…最終的に、節子は栄養失調で死亡。
後を追うように、清太も三ノ宮駅構内で餓死します。
二人のFIRE計画は、あまりにも悲劇的な結末を迎えてしまいました。
総括
この物語は、FIREを目指す私たちに、多くの教訓を残しました。
まず、前提条件に無理があってはいけない、ということです。
・高度な生産力が維持されていること(できれば、デフレが望ましい)
・貨幣経済が存続していること
この二つは、絶対です。
清太達の生きた時代は戦時中であり、そのいずれもが崩れていました。
そして最大の誤算が「父親の戦死」です。
例えるなら「実家の遺産相続をあてにしてFIREしたら、破産して夜逃げしていた」ようなもんです(笑)
ここも、想定が甘いと言わざるを得ません。
本土に空襲がある時点で戦況の悪化は明白であり、海軍軍人である父親が帰還することは望めません。
つまり、前提条件がすべて破綻してしまったのです。
そして、計画の失敗が確実になってからも、清太は叔母さんの家に帰る決断はしませんでした。
結果として、最愛の節子を死なせてしまいます。
やはり、臨機応変に軌道修正する柔軟性が大切ですよね。
しかし。
もしここで、叔母さん宅に戻っていたとしたら、この作品がこれほど人々の胸を打つことはなかったでしょう。
清太が最期まで「自分の気持ち」を貫き、「4歳と14歳で、生きようと思った」からこそ、その純粋さが私たちの胸を打つのです。
二人は今なお、神戸の街を見下ろしているのでしょう。