こんばんは!
サイコパスの郵便屋さんです。
羽田圭介の「Phantom」という小説を読みました。
FIREを目指す女性投資家が主人公の物語です。
ある日彼女は、大学時代の友人から結婚式の二次会への招待を受けます。
この時、彼女は「出席費1万円」を複利運用した場合のリターンを計算し、断りのメールを打つのですw
つまり「出席した場合の主観的効用」を金額換算し、「1万円の複利運用」と比較しているわけです。
いわゆる「コスパ思考」です。
コスパとは「目的の相対化」である
コスパとは、コストパフォーマンス=費用対効果の事です。
「費用」は「お金」。
「効果」は「目的」。
つまり、コスパとは「目的」を「お金」で相対化する事を意味します。
コスパ思考とは、相対主義のデリバティブ(派生)である、と言えますね。
最近では「結婚はコスパが悪い」と考える若者も多いそうですね。
「会社での昇進、出世よりプラーベートを優先する」という考えも、コスパ思考の一種でしょう。
これは「お金」というより「時間」で目的を相対化しています。
かつての日本では「就職、結婚、子育て」を「人生の目的」とする「物語」が生きていました。
僕らが目指すFIREも、「就職」を「時間」で相対化する行為ですよね。
物語には、絶対的な「目的」が必要です。
桃太郎なら「鬼が島の鬼退治」
ドラクエなら「魔王を倒して世界を救う」
これが目的です。
この目的が相対化するとどうでしょうか。
ドラクエなら、例えば「ストーリーそっちのけでレベル上げにはまる」です。
「魔王を倒す」よりも、ひたすら「レベル上げ」をした方が楽しい。
だから、そうする。
完全に目的が相対化されています。
「物語の目的」を相対化するにはメタ視点が必要
そして、これはメタ視点、つまりプレイヤー視点でモノを考えていますよね。
物語の主人公になり切っていたら、目的の相対化なんてできません。
物語の外側から俯瞰する、つまりメタ視点=プレイヤー視点が必要なのです。
若者が「結婚はコスパが悪い」と考える。
会社員としての立身出世を、時間的コスパで相対化する。
これらの現象は、現代の人々が社会を、いや人生自体を俯瞰的に客観的に見ていることを意味しているのではないでしょうか。
就職、会社員としての立身出世、結婚、子育てetc
これらを絶対的な目的とする物語を、人々は長きに亘って夢中でプレイしてきました。
そして今、その物語は魅力を失いつつあります。
絶対的な目的は、お金や時間で相対化され、比較される対象になったのです。
なぜ、このような事になったのか。
それは「生産」のために、これらの要素が必須では無くなりつつあるからだと考えます。
就職、結婚、子育て。
つまり、「会社」と「労働力」が生産手段としての役割を終えつつある、という事です。
筆者は、人間の本質を「生産」だと考えています。
人々は無意識のうちに、生産手段としての役割を終えつつある「会社、結婚、子育て」を見限り始めている。
少子化の背景には、そのような「無意識下の意志」が働ているように感じます。
少子化とは、人間という種全体の「肉体」が退化していく過程ではないか。
生産のために、会社という組織が、そして人間という肉体が不要になりつつある。
むしろ環境面から考えると、これら(会社、肉体)の活動によって、生産の持続可能性が脅かされている、ともいえます。
であれば、人間の活動領域はメタバース空間へと移行していくことになります。
メタバース空間で生産、消費を行い、イノベーションを起こしていく。
現実社会では、食事、排せつ、睡眠のみ行う。
環境のためには、それがベストでしょう。
肉体は退化していき、いずれ人間はデータ化する。
いや、そもそも、この世界自体が既にそうではないと言いきれるでしょうか。
う~んすいません、マトリックスになっちゃいましたw
ちょっと着地に失敗ですm(__)m