などてすめろぎはひととなりたまひし【中編】

こんばんは!

今日は、さっそく先日の続きからスタートです。

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彼らの失敗は出口戦略の不在にある

青年将校らは決起後主要官庁を占拠したものの、そこから動きを止めてしまいました。

そもそも、その後の計画が何もなかったからです。

彼らは「自分たちの役割は、現政府を破壊する事」であり、その後のことは「君側の奸から解放された天皇」と陸軍上層部が設立する新内閣が、昭和維新を行なう事を期待していたのです。

つまり、「天皇の意志」と「陸軍上層部」という「アンコントローラブル」なものに出口を丸投げしてしまったわけです。

ここが彼らの最大の失敗要因でした。

 

では、なぜ彼らはこのような失敗をしてしまったのか。

筆者は、彼らが「天皇」と「天皇個人」を同一視してしまったのが原因だと考えます。

 

天皇」とは、日本民族を統合するために創造された、観念上の存在です。

近代国家の成立には、雑多な民族を「国民」へと意識統合するための「物語」が不可欠です。

ドイツを統一する際は、グリム兄弟が各地に存在する民話を収集・編集し、「グリム童話」として刊行しました。

ハーメルンの笛吹きヘンゼルとグレーテル、白雪姫などが有名ですよね。

このグリム童話が、「ドイツ国」という観念の根拠となったのです。

第二次大戦でドイツが敗戦した際、勝者たる連合軍は「グリム童話」の出版禁止を言い渡しています。

 

フランスにおいては、当然フランス革命の理念(自由、平等、博愛)が国民統合の物語ですね。

そしてわが日本。

明治政府は、天皇を国民統合の物語として利用することを決めました。

天照大神の子孫にして、神武天皇から続く万世一系の物語。

国家神道の最高祭祀にして、現人神。

これが、「観念としての天皇」です。

 

対して「天皇個人」は、あくまで我々と同じ「人間」です。

信頼する重臣をことごとく殺されれば、当然ブチ切れるでしょう。

とりわけ、過去に天皇の養育係を務めていた鈴木貫太郎侍従長については、実の親のように慕っていたといいます。

 

青年将校は、ここを読み誤っていたのではないでしょうか。

無理もありません。

彼らは「天皇は神聖不可侵の現人神である」と教え込まれています。

陛下が悲惨な農村を見捨てるはずがない。君側の奸さえ打ち倒せば、きっと日本を救ってくださる!

そう考えてしまったのでしょう。

観念としての天皇」と「人間としての天皇」の混同。

これが、彼らの致命的な失敗でした。

 

巨大組織に無勢で立ち向かうときは「最初の一撃で致命傷を与える」ことが必須です。

中途半端な打撃では、相手は急速に立ち直ってしまいます。

中枢神経を、一撃のもとにコントロール下に置かねばならないのです。

 

日本の中枢は「宮城=天皇です。

決起部隊には、近衛歩兵第7中隊の約百名が加わっていました。

近衛部隊といえば、天皇の護衛が任務。

宮城を抑えるための、恰好の駒が手元にあったのです。

惜しいことに、彼らはこの「駒」を高橋是清蔵相への攻撃に使ってしまいました。

しかも高橋是清といえば、時局匡救事業によって農村の救済に尽力した人物です。

これによって見事デフレから脱したため、財政を緊縮(軍事費を削減)に舵を切ったのですが、この事で青年将校が恨みを抱いたんですよね。

投資家が、テーパリングに舵を切ったパウエルにブチ切れるようなもんです。

何やってんだよって感じですね。

出口戦略がしっかりしていないばかりに、最初の一手を致命的に間違ってしまった。

すべては、出口戦略の不在が原因です。

出口戦略なき日本

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軍部は、事件を都合よく利用し「軍部大臣現役武官制」を復活させます。

これによって政府を事実上コントロール下に置いた軍部は、戦争への道を直走ることになります。

5年後の1941年には、日米戦争が勃発しました。

「同盟国ドイツが英ソを屈服させてくれれば、軟弱な民主国家であるアメリカは戦意を喪失するだろう。それまでの間、南方資源地帯を占領し、持久戦を行う」

信じがたいことに、これが日本の「出口戦略」でした。

戦略の要を、「ドイツ勝利」というアンコントローラブルな希望的観測に丸投げしているのです。

アメリカを軟弱な民主国家とするのも、非常に粗雑な判断と言わざるを得ません。

対するアメリカは、極めて詳細な「出口戦略」と「日本分析」を行っていました。

 

2004年にアメリ国立公文書館で発見されたOSS(後のCIA)機密文書によると、1942年6月の時点で「天皇を平和のシンボルとして利用する」「戦後は象徴天皇制とする」事を構想していたことが判明したのです。

開戦から僅か6か月。

日本が、相次ぐ勝利に酔っていた頃です。

天皇ヒロヒトは別。シンボルとしての天皇が重要。

天皇は現在でも軍部指導者たちの犠牲になっていると述べること。

1936年の革命(2.26事件)以降、天皇の周辺を「悪い助言」を与える者が占め、天皇が民衆の声を聴くのを妨げてきたことを強調すること。

1936年2月26日の革命で、革命家たちは彼らが関与した大量殺人の正当化に、この論題(悪い助言)を利用した。

天皇の名によって成される行為は、彼の助言者・保護者の決定であり、天皇がとがめられることはない。

日本人にとっての天皇は、西洋人にとっての国旗と同様の物とみなされるので、彼が開戦に加担したと述べることは、都合の悪い宣伝効果をもたらす。

日本の軍部は日本の民衆を騙しており、ナチスドイツは日本の軍部を騙していると示唆すること。

日本の民衆に、彼らの利益は彼らの現在の政府の利益とは同じでないことを示し、政府の敗北が、彼ら自身の敗北とはみなされないようにすること。

日本の支配者の持つマイノリティに対する猜疑心を利用し、支配者たちがマイノリティを迫害するように、そそのかすこと。

日本人を𠮟りつけてはならない。西洋人から侮辱されること以上に、彼らの戦闘意欲を高めるものはない。

東洋においては「メンツ」がすべてであることを常に忘れないこと。

天皇は神だ」という日本人の考えを否定するのではなく、それを逆手にとって自分たちの方へ導く「柔道アプローチ」、日本への尊敬心を表に出した「モラルアプローチ」、敵の懐深く日本史に入り込み、現政権を批判する「歴史的アプローチ」の3つをプロパガンダ技術として奨励する。

加藤哲郎著「象徴天皇制の起源」より引用

これだけ詳細な、天皇・日本人分析を開戦初期に行っていたアメリカ。

恐ろしいですね。

戦後の象徴天皇制導入へ向け、天皇と軍部を分離し、責任が天皇に及ばぬよう慎重に考慮していることが分かります。

ー彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからずー

日本は、戦闘以前に「出口戦略」の時点で敗北していたのです。

軍部は、自らの「メンツ」を優先し、戦局が絶望的になった後も「国体護持」を口実に無謀な戦争を続けました。

戦没者310万人、その9割が1944年以降のものです。

彼らの「メンツ」のために、死ぬ必要がなかった大勢の人々が殺されました。

2.26で青年将校にすべての罪を被せ、自らは素知らぬ顔を決め込んだ軍部。

彼らは全く同じことを、国民全体に対して行ったのです。

そしてこれが、良くも悪くも日本人の一側面なのです。

 

 

 

話が横道にずれましたね^^;

長くなってしまいましたので、また明日、続きを書こうと思います。

今日もありがとうございました。