86年前の本日。
皇道派の陸軍青年将校が、1,483名の兵とともに蜂起しました。
2.26事件です。
この事件は、現代の私たちにとっても、非常に多くの示唆を与えます。
どのような切り口でお話ししようか。
さんざん悩んだのですが、
・先日「投資において最も大切な事」でお話しした「出口戦略」
・今日の私たちが失いつつある「物語」
この2つの切り口で、お話してみたいと思います。
2.26事件の概要
君側の奸(※)を討て!昭和維新を断行せよ!
(※)天皇を思うがまま操り、悪政へと導く奸臣
1936年2月26日未明。
雪が降りしきる中、陸軍青年将校率いる1,483名の兵士が、政府要人の邸宅、警視庁をはじめとする主要官庁、朝日新聞社などを、突如として襲撃。
斎藤実内大臣、高橋是清大蔵大臣、教育総監である渡辺錠太郎陸軍大将らを惨殺し、海軍出身の鈴木貫太郎侍従長(終戦時の首相)が重傷など、多数の死傷者を出しました。
青年将校らが、このような事件を起こした背景には、農村漁村の窮状がありました。
二・二六事件に参加した高橋太郎(事件当時少尉)の事件後の獄中手記に、高橋が歩兵第3連隊で第一中隊の初年兵教育係であったときを回想するくだりがある。高橋が初年兵身上調査の面談で家庭事情を聞くと、兵が「姉は…」といって口をつぐみ、下を向いて涙を浮かべる。高橋は、兵の姉が身売りされたことを察して、それ以上は聞かず、初年兵調査でこのような情景が繰り返されることに暗然として嘆息する。
(中略)
「あなた方陸大出身のエリートには農山村漁村の本当の苦しみは判らない。それは自分たち、兵隊と日夜訓練している者だけに判るのだ」
Wikipediaより引用
財閥と、腐敗した政党政治家が癒着し、貧しきものをさらなる極貧へと追いやっている。
これを正すべき天皇も、君側の奸に「捕らわれて」いる。
この君側の奸を討伐し、天皇親政による維新国家を建設しよう、というわけです。
在野の右翼革命家・北一輝の「日本改造法案大綱」が、彼らの理論的支柱でした。
これには、基本的人権の尊重、労働権、言論の自由、農地改革、財閥解体、男女平等、「天皇の国民」ではなく「国民の天皇」へ、など、極めて先進的な内容を含んでいました。
青年将校らの思いを、自らの派閥争いに利用しようとした陸軍上層部は、彼らを煽り立てました。
決起の理由を記した「蹶起趣意書」の添削を行ったのも、陸軍最高幹部の一人です。
決起の直後には、陸軍大臣名で
諸子ノ行動ハ国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム(君たちの行動は、国を思う真心に基づくものと認める)
という告示まで行っていたのです。
自分たちの行動が認められた!
青年将校らは、涙を流して喜びました。
しかし、彼らの目算は大きく狂い始めます。
彼らの思惑とは裏腹に、天皇が激怒したのです。
形勢不利と見るや、陸軍上層部は手のひらを返しました。
抵抗スル者ハ全部逆賊デアルカラ射殺スル
オ前達ノ父母兄弟ハ國賊トナルノデ皆泣イテオルゾ
投降した青年将校を待っていたのは、ずらりと並んだ棺桶でした。
自らの身に火の粉が降りかかることを恐れた上層部は、彼らを自決させる事で、事を収めようと画策したのです。
ー死ね、早く死んでしまえー
当初は自決するつもりであった青年将校らも、このあまりに非道な仕打ちに怒り、一転して法廷闘争を行う決意を固めます。
しかし、用意された法廷は、弁護人もつかぬ暗黒法廷でした。
彼らの処刑は、既定だったのです。
彼らは、最期の時、天皇陛下万歳を口にしませんでした。
彼らの失敗は、出口戦略の不在にある
青年将校らは、決起後主要官庁を占拠したものの、そこから動きを止めてしましました。
そもそも、その後の計画が何もなかったからです。
彼らは「自分たちの役割は、現政府を破壊する事」であり、その後のことは「君側の奸から解放された天皇」と陸軍上層部が設立する新内閣が、昭和維新を行なう事を期待していたのです。
つまり、「天皇の意志」と「陸軍上層部」という「アンコントローラブル」なものに出口を丸投げしてしまったわけです。
ここが彼らの最大の失敗要因でした。
では、なぜ彼らはこのような失敗をしてしまったのか。
筆者は、彼らが「天皇」と「天皇個人」を同一視してしまったのが原因だと考えます。
すいません、時間が来てしまったので、今日はここまでにします。
大変申し訳ないです。
続きは、明日の後編で。