三菱サラリーマンは、なぜあんなにポジティブなのか

こんにちは!サイコパスの郵便屋さんです。

 

今日も雪模様ですが、仕事がお休み(*^^)vなのでブログ書きます!

 

先日、当ブログへのアクセス数が一時的に急増しました。

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元々、検索流入がほぼゼロという事もあり、ボラティリティの高いアクセス数だったのですが、突如として前日比10倍以上ですからね。

何事かと思って調べてみると、どうやらはてなブックマークの仕業らしいです。

www.taikimedia.com

なんでも、一定期間中に一定以上のブックマークを獲得すると、記事がピックアップされ、アクセス数が増えるらしいです。

いや~、上手くできてますね。

三菱氏のいう所の「射幸心」をくすぐる仕組みです。

さて、筆者はこのアクセス数を見て、どう感じたか。

はい、素直にうれしくなってしまいましたw

ええ、喜んでしまったのです。

結局、ブログだろうがフェイスブックだろうがTwitterだろうが、ザッカーバーグの掌で転がされるってことです。資本への包摂です。

筆者は以前「アクセス数はもう諦めました」という記事を書きました。

時を同じくして、グーグルアドセンスの広告もオフにしました。

「資本への包摂」に対する抵抗です。

生産手段を取り戻し、「労働からの疎外」を克服したかった。

にもかかわらず、アクセス「数」という抽象概念に再び踊らされている。

つまり、問題の本質は資本制社会ではなく、人間の本能にあるということです。

本能と資本がねっちりと接合しているからこそ、癌細胞のごとく自己増殖していく。

この方向で進めば、行く先は明らかです。

筆者は「資本の要請」に従って、グーグル先生のお眼鏡に適うような「具体的」な記事を書くようになるのでしょう。

なんせアクセス「数」に喜んでしまったのです。いずれ、それがKPIとなるのは目に見えています。

「アクセス数」という「承認欲求の具象」によって社会的分業に取り込まれ、再び生産手段を失う。

筆者が一から作ったブログから、筆者自身が疎外される、という事です。

資本主義の縮図が、いまここに再演されようとしているのです。

 

もちろん、これをポジティブな側面から見れば「だからこそ人間は進歩してきた」と捉えることもできます。

むしろ、そう思い込もうとしている。

なぜならば、株式投資によるFIRE」という自分の夢を正当化する必要があるからです。

しかし、最終的には矛盾が生じてくるのは目に見えています。

 

やはり、「個人の幸福」と「人類の進歩」とは根本的に矛盾しているとしか思えない。

であれば、結局ドラッグに頼るしかない。

 

三菱サラリーマン氏は、なぜポジティブなんだろう

三菱氏のブログは、表向きは投資ブログですが、筆者は哲学ブログとして見ています。

投資哲学

生き方哲学

経済哲学

ですね。

三菱氏のブログを見るたび、筆者の頭には一枚の絵が頭に浮かびます。

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有名なやつですね。

読書量により、見える世界が変わってくる、ということです。

読書量をKPIとした進歩史観といえます。

筆者と三菱氏との差は、読書量という事になります。

これが本当ならば、希望が持てます。

しかし。

筆者には、確信が持てないのです。

真ん中のおっさんの状況は、まさに筆者のそれです。

ある程度本を読んでいくと、必ず相対主義ニヒリズムにぶち当たるのです。

特に近現代史はそうです。

更に読書を重ねることで、本当にここから脱することが出来るのか。

三菱氏の思想は

三菱氏の思想のベースには、筆者と同じく相対主義が流れているように思います。

優⇔劣、勝⇔敗、善⇔悪。

三菱氏は、こういった二元論で決めつけることを絶対にしません。

たぱぞう氏もそうですが「焚き付け」ではないのです。

 

人はそれぞれ、育ってきた環境も、生まれ持った遺伝子も、背負っている過去も様々である。

であれば、その人の思い、そして選択に対して他者が優劣を判断するのはおかしい。

 

筆者は、この考えに強く共感しています。

しかし、ブログを見る限り、三菱氏は相対主義を踏まえたうえで、更に先を目指そうとしている。

このポジティブさは、いったいどこから来るのか。

三菱氏のアナロジーの使い方

三菱氏は、アナロジーをよく用います。

特徴的なのは、抽象概念のアナロジー「草むしり」や「雪かき」といった具体性・身体性を伴った事物を使う事です。

ここが、筆者との違いです。

筆者は抽象のアナロジーに、抽象を用いることが多いのです。

これなんかそうですね。

 

yuubinyasan.com

なぜか。

アナロジーの対象に、具体的身体的な事物が思いつかないからです。

つまり「本で読んだ知識」と「本で読んだ知識」をつなげているわけです。

対して、三菱氏は「知識」と「リアルな経験」をつなげている。

ここに、何かしらの差があるのではないか。

 

筆者は、休みの日はひたすら図書館に籠っています。

他にすることは、雑用のほかは「筋トレ」と「自転車」「サウナ」「たまに登山」くらいです。

つまり、具体的身体的な「経験」が少ない。

特に「人との関わり」はほとんどありません。

 

三菱氏のブログを見ると、根底に「人間への信頼」「自然への感謝」があるように思えます。

筆者は、根底に「人を信じきれない」事があるように思います。

 

相対主義ニヒリズムから先に進むには、そこに触れねばならないのか。

筆者にとっては、それは険しい道です。

読書量を増やせ、と言われるほうがはるかに楽です。

なぜなら、慣れているから。

 

この問題には、実は最初から薄々感じていました。

幸せになるためには、最終的には具体の世界に還らねばならない。

なぜなら、人間は社会的な動物だから。

 

私は抽象の世界の住人です。

それをするには、ひどく勇気が必要です。

それは、お金持ちになるより遥かに難しい。

私にとっては、FIRE後に待ち受ける試練の方が、重いです。