加速主義とは何か

こんにちは!サイコパスの郵便屋さんです。

 

資本主義(テクノロジー)の発展は、様々な矛盾を生みつつも、やがてそれ自身の運動によって矛盾を外部化し(そして、更なる矛盾が発現し)マッチポンプ式に生産力を向上させてきました。

生産力の向上は、物質面の困窮から人々を解放しました。

一日一日を生きていくのがやっと、という時代には「生きる意味」など問われなかったでしょう。

ある意味、人間は「不幸」を感じることが出来るほどに「幸福」になったのです。

「癌で死ぬ」ことが出来るほどに「健康長寿」になったのと同じです。

 

この事実を受け、私たちはこれから、どういう道を選んでいくのか。

今日はその一つ、加速主義について考えます。

加速主義とは何か

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まず断っておきますが、筆者はこの分野について詳しくありませんw

従って、誤解や偏見に基づいた見解を示すかも知れません。

それを踏まえたうえで、筆者の「切り口(偏見も含む)」を「面白がって」頂けると幸いです。

 

みなさん、社会主義(計画経済)が失敗した主因は何だと思いますか?

一般的には、資源(リソース)配分の非効率が主因であると言われています。

市場の価格調整機能、つまり需要と供給によって資源を配分する自由主義経済と異なり、計画経済においては「政府のお役人」がこれを決定します。

しかし、どんなに頭のいいお役人が知恵を絞ったところで、需要と供給をきっちりマッチングさせることなど、不可能です。

これによって、計画経済は失敗しました。

 

これを知った時、筆者は

じゃあ、将来すっごいテクノロジーが発展して、みんなの行動が完全に予想できるようになれば計画経済って上手くいくよね!

という、すっごく素朴な(アホっぽい)感想を持ちましたw

 

しかし、技術の進歩は早いものです。

AI、コンピューターの高速化等により、筆者のアホな妄想が現実化しつつあります。

これが分かりやすく具象化しているのが中国です。

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テクノロジーによって、人々の行動を把握・予測し、中央集権的な強権でこれを管理する。

この方法で、新型コロナを見事に封じ込めました。

更には、この強大な権力でもって、あらゆるリソースをAI、量子コンピュータ半導体といった先端技術分野に投じています。

国家レベルで膨大な報酬、研究予算を用意し、世界中の研究者・技術者を集める。

日本人のノーベル賞受賞者が、研究拠点を中国に移した例もありましたね。

 

この一連の動きが、いわゆる中華未来主義です。

そして、このモデルを理想としているのがピーター・ティール(ペイパル創業者)を始めとする加速主義者です。

テクノロジーで、政治的道徳(ポリコレ)を破壊する

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自由主義国家は、「民主主義」「平等」「分配」といった「政治的道徳」に縛られている。

この道徳のことを、加速主義者は「大聖堂」と表現します。

彼らは、テクノロジーの発展を、社会が適応不能なレベルまで加速させることで「大聖堂」を破壊することを目指しています。

例えば、遺伝子編集技術が高まり、自由に人間を設計できるようになれば、「平等」の道徳は意味を失いますよね。

というか、そもそも人間の生きる目的が「幸福」であるならば、脳内物質を薬物でコントロールしてしまえばいい。

資本主義的な正しさ=合理性を突き詰めれば、当然その結論に行きつくわけです。

幸せになった人々がメタバース空間でゲームに興じてくれれば、環境問題も一気に進展しますからね。

人々は、自発的にそこへと向かう事でしょう。

SNSにしてもリアル社会にしても、人間関係が急速に資本へと包摂されています。

岡田斗司夫の言葉を借りれば、ホワイト社会化です。

 

本質より見た目=第一印象が大事、身なりを清潔に、体臭は絶対NG、人の悪口を絶対言わない、元気に挨拶する、電車では席を譲る、欠点を指摘しない、改善点を提案しない、アドバイスしない、なんでも相談してと言いつつ実際相談されたら答えない(一般論で返す)。

このような人々が増えてきたと思いませんか?

筆者も人のことは言えませんが^^;

要するに、徹底的に資本制社会に適応した、合理的人間です。

就職面接での「あるべき姿」が、日常化したようなイメージです。

岡田斗司夫のいう「ホワイト社会のいい人」、宮台真司のいう「クソ社会のクズ人間」ですw。

資本制社会は、「感じの良い人」という点で、高い汎用能力を求めます。

高い汎用能力=入れ替え可能という事です。

人間性を計算可能化していく、と。

それに適応するため、徹底的に身体性、具体性、生活感を排除する。

あるべき姿から外れる部分を捨象し、より正しい人間へと抽象化していく。

人格のキャラ化、とでもいいますか。

この方向で突き詰めると、最終的に身体が邪魔になる。

テクノロジーでコントロール可能であれば、脳内物質操作、遺伝子操作、なんでも受け入れるでしょう。

最終的には、データ化ですね。

AIを人間に近づける以上に、人間がデータ化していくわけです。

すいません、なんかホモデウスのパクリみたいな展開になってしまいましたねw

でも、普通に今の流れで考えれば、そうなってしまうということです。

 

話を戻しますm(__)m

加速主義は、マルクス唯物史観がベースになってます。

生産力(テクノロジー)の向上が、社会制度・人々の精神を変革していく、という事です。

マルクス自由貿易の推進を主張したのは有名な話ですよね。

自由貿易に先進諸国の中間共同体を破壊させ、矛盾を拡大することで社会改革を進めようと考えたわけです。

 

まとめます。

加速主義とは、テクノロジー(資本主義)を一気に発展させることで「足かせ」となっている政治的道徳(民主主義や平等・分配)を破壊する。

その後、非効率な民主国家に替わって、テック企業のCEOが企業経営のごとき徹底的な合理主義で世界を統治する、という思想です。

現状、これに一番近いのは、中国ですね。

 

さて、今回は加速主義の紹介だけで終わってしました。

これに対する筆者の考えを、また次回お話いたします。