労働者は、働けば働くほど貧しくなる

こんばんは、サイコパスの郵便屋さんです。

今日は、資本制社会が生み出した負の側面、第三弾です。

 

働けば働くほど、貧しくなる労働者

昨日の記事で、労働者の給料が、労働力の再生産費用(生活費)に一致することはお話ししました。

 

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これをグラフで表すと、次のようになります。

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横軸が「労働量(労働時間及び生産性)」、縦軸が「産出価値」です。

産出価値が労働者の生活費、つまり労働力の再生産費用に一致した点が給料となります。

さて、問題はここからです。

この先、どんなに労働を頑張っても、給料はほとんど増えません。

せいぜい、残業代ぐらいでしょう。

俺は、人事評価でA評価だったから増えてるぜ!

そう言われる人もいるでしょう。

しかし、その増えた分の給料は、他の労働者(低評価者)の減少した給料と一致します。

人件費全体としては全く増えていないのです。

つまり、生活費分の価値を生み出した後の労働は、すべて資本に搾取されるという事です。

頑張れば頑張るほど、世の中に生み出される価値は増えていく。

しかし、その増加分の価値は、すべて資本(株主)の取り分になる。

必然、世の中の「価値の総量」に占める「自分の取り分」は、どんどん低下していきます。

働けば働くほど貧しくなる、とはこのことを指しています。

消費者として、搾取された価値を奪還する

そんなの、社会主義と一緒じゃん!なんで資本主義だけ発展したのさ!

当然の疑問ですよね。

どれだけ頑張っても給料が変わらないのでは、社会主義と同じです。

ではなぜ、社会主義は失敗し、資本主義は発展したのでしょうか。

 

では、みなさん。

ここで次の画面を見てください。

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上がファイナルファンタジー初代(1987年発売)
下がファイナルファンタジー15(2016年発売)

です。

まるで別物ですよね。

筆者は、どちらかというと初代の方がなじみ深いです。おっさんですねw

あの時代に、FF15なんて見たら卒倒したでしょう。

「うわ!!ファミコンで写真が動いてる!!」なんてねw

でも私たちは、あの25色のドット絵を通して、世界を冒険していたのです。

そこには確かに、風が吹いていました。

VRセットなど装着せずとも、想像力次第で世界は投影されるのです。

心のスクリーンに。

 

筆者は、今後メタバースと並んで「心」ビジネスが興隆してくると読んでいます。

現在も「マインドフルネス」「禅」が一部で流行していますよね。

一言で言えば、「自力での脳内物質コントロールです。

問題は、これらが長い修練とセンスを必要とすることです。

属人性が高い。つまり「誰でもできる化」されていない。

テクノロジーは、こういった「不快な事、面倒な事」を代替すべく発展してきました。

前回の記事でも述べましたね。

 

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テクノロジーの力で、よりお手軽になった「禅」が登場するでしょう。

薬物、電極等での脳内コントロールです。

未来版オウム真理教ですねw

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すいません、話が大幅に逸れちゃいましたので、元に戻します。

初代FFとFF15。

それぞれ定価は、5,900円、7,800円です。

テクノロジーの凄まじい進化に比べて、大して値段は上がっていませんよね。

これだけの進化をさせるためには、膨大な研究開発費、設備投資が必要だったはずです。

なぜ、それが価格に反映されていないのか。

正解は、「資本家が負担したから」です。

 

資本家たちにも競争があります。

他社に先駆けてイノベーションを起こせば、より低いコストで、より優れた商品が作れます。

マルクスがいう所の「特別剰余利益」、つまり追加的利益が得られる。

しかし、この追加的利益は刹那です。

イノベーションは、いずれ一般化するからですね。

資本家たちは、新たな「追加的利益」を求めて、絶え間なきイノベーション競争を続けていきます。

消費者はより安く、より便利な商品を手に入れることが出来る。

 

つまり、労働者は搾取された価値の一部を、消費者として受け取っているわけです。

ここが、社会主義との大きな違いです。

社会主義においては、当然「資本家間の競争」はありません。

従って、イノベーションは極めて緩慢にならざるをえない。

資本制社会においては、労働者は一旦価値を搾取されながらも、消費者の立場でそれを奪還できる、ということです。

 

また、資本家が行う「設備投資」も、新たな労働需要を生み出します。

これによって労働市場がひっ迫すれば、給料を上げざるを得ません。

さもなくば、労働者が辞めてしまう=労働力が再生産できなくなるからです。

 

このようにして、資本制社会は富を還流させてきたのです。

富が還流しない現代

さて、これで「なぜ労働者への分配問題が浮上してきたのか」が分かりますね。

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朝日新聞デジタルより引用

日本国内の設備投資費及び利益剰余金(いわゆる内部留保)の推移です。

この十数年で、設備投資がほぼ横ばいである一方で、利益剰余金は大幅に増えています。

・固形資産から無形資産への流れが顕著であること

・右肩上がりの成長が見込めないこと

等が原因です。

アメリカでも、同様です。

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総還元性向(利益のうち、株主への還元に費やした割合)の推移です。

近年のアメリカでは、稼いだ利益の全額+α(借金等)を株主に還元しています。

日本は内部留保アメリカでは株主還元。

いずれも、労働者への再還元に繋がらないことが共通です。

 

もちろん、無形資産からのイノベーションは消費者を豊かにし続けています。

アマゾンプライムなんて、月額500円で様々な映画、音楽が楽しみ放題ですよね。

ちょっと前までは、500円では旧作2本レンタルがせいぜいでした。

 

先進国の貧困層は、100年前の王族貴族よりはるかに豊かな生活をしています。

少なくとも「モノやサービス」の消費という意味においては。

資本制社会においては、同時代における「相対的な格差」は広がりますが、「絶対的な豊かさ」は向上し続けています。

しかし悲しいかな、人間は目に見える範囲での「相対」でしか価値判断ができないのです。

逆に言えば、だからこそ経済成長し続けられた、とも言えますが。

 

いかに幸せになるか、とは、いかに相対から抜け出すか、と同義だと思います。