テクノロジーは、人間をコモディティ化した

こんばんは。サイコパスの郵便屋さんです。

 

今日も、昨日お話しの続きです。

産業革命以降の生産力=テクノロジーの急速な発展がもたらした副作用についてです。

 

テクノロジーは、人間をコモディティ化した

f:id:yuubinyasan:20220209202623p:plain


構想と実行の分離

筆者は郵便配達員ですが、2年間ほど企画職に就いていたことがあります。

その時に担当していたのが「標準作業」の導入です。

 

郵便配達といっても、色々な局内作業があります。

郵便物の「区分」、郵便物を配達順に並べ替えていく「道順組立」など。

これらについて、作業工程を一つ一つ分解し、工程ごとの「正しい作業方法」と「原単位(15分)あたり処理すべき通数」を設定していくんですね。

郵便物の持ち方、めくり方、並べ方、揃え方等々。

実際に現場に行って、いろんな局員の作業方法をヒアリングしたり、ビデオ撮影をしたりして、「正しい作業方法」と「標準処理数」を作っていきました。

 

筆者が郵便局に入ったころ(20年以上前)は、標準作業なんて特になく、

俺は、手取り足取り教えんぞ!俺の技を盗んで覚えろ!

は、はい!わかりました!

そんな感じでしたw

同じ班の先輩(筆者の先生役は、見た目ヤクザで怖かった^^;)が作業している姿を見て、勝手に覚えていく感じです。

今思えば、のどかな時代でした。

 

さて、この「標準作業」を設定する目的は何でしょうか。

表面上の目的は「作業方法を統一し、進捗を管理しやすくするため」です。

筆者も、そう教わりました。

 

しかし、資本の本当の目的は「構想」と「実行」の分離にあります。

かつて、労働者が生産手段を有していた時は「構想」と「実行」は統合されていました。

職人仕事をイメージしてみるとよいでしょう。

長年の修練によって身につけた技術や知識を総動員して、

「ここは、こうした方がいいな」

「今日のコンディションだと、クオリティを保てるのは〇個までだな」

等、様々な「構想」のもと、作業を「実行」していきますよね。

非常に属人的、つまり「その人でないと、できない仕事」だと言えますね。

 

この状況は、資本家にとって非常に都合が悪いです。

より生産を増やし、利益を上げようとしても

てやんでい!クオリティを保てるのは一日3個までなんだよ!

こう言われてしまうと、何も言い返せません。

その人の「技」「知恵」に依存しているからです。

無理強いして、

だったら辞めてやるよ!俺の代わりはいねえけどな!あばよ。

なんていわれると、もう代わりの人はいません。

 

このような状態を打破するため、資本は「構想」と「実行」を分離しました。

複数の職人の作業方法を研究して「最適な作業方法」を探り出し、これを標準化することで、労働者から「構想」を取り上げたのです。

更に、作業において難しい部分、つまり属人的な部分は機械化し「誰でもできる化」していく。

郵便局でも、郵便の9割以上は、機械によって道順組み立てされるようになりました。

最近では、AIによって自動的に最適な配達順路を作成する「自動ルーティング」端末も導入されつつあります。

やがて自動運転が導入されれば、完全に「誰でもできる化」が完成します。

その辺のおばちゃんでも、初日からベテランと変わらない仕事をするでしょう。

これによって、配達員は完全に「替えの利く」存在になります。

分業により、労働から疎外されていく

資本制社会は、高度な「分業」から成り立っています。

郵便局でも「企画」「営業」「総務」「窓口」「内務」「外務」等、様々な職種があります。

これによって、極めて高い生産性を実現しているのです。

しかし、その反面、「労働本来の喜び」からは疎外されていると言えます。

自分の実存を懸けた生産物で、人を喜ばせる

これが、労働の喜びではないでしょうか。

「総務」担当の人も、会社には不可欠ですが、実際にお客さんと接する機会は皆無です。

 

よし、俺一人で郵便サービスをやってやろう!

そんなことは不可能ですよねw

一人で郵便を営業し、集荷し、配達していたら費用が膨大にかかります。

現代社会では、分業によって高度な生産力を持つ企業に太刀打ちできないのです。

結局、労働者は巨大な企業システムの「部品」になる事しかできません。

それも、いくらでも「替えの利く」部品です。

労働力の商品化

「構想」と「実行」の分離、そして「分業」

これにより、労働者は生産手段を失いました。

労働者は「労働」をするのではなく、汎用品としての「労働力商品」を売って生活するほかありません。

このことを、労働力の商品化といいます。

資本制社会を成り立たせる一番の土台です。

これにより、労働者は資本家(株主)に搾取されると分かっていながら、機械の部品として働くより他が無くなったのです。

自分自身で考え、頑張って修練した技を使い、作り上げた生産物で人を喜ばせる。

労働者は、このような労働本来の喜びからは疎外される存在となりました。

 

人間は、テクノロジーによる便利さ、豊かさを手に入れる代償として、巨大なシステムの中で、替えの利く存在として生きるようになったのです。

マックス・ウエーバーは、これを「鉄の檻」における「没人格化」と表現しました。