こんばんは。サイコパスの郵便屋さんです。
早速ですが、昨日の続きです。
産業革命以降の生産力=テクノロジーの急速な発展は、次のような副作用をもたらしました。
①あらゆる共同体を破壊する
②分業による人間疎外で、機械の部品のように「替えの利く」存在に成り下がる
③頑張れば頑張るほど、相対的に貧しくなっていく
順を追ってお話しします。
生産力向上による共同体破壊
地域共同体の破壊
筆者の住んでいるところは、日本有数の田舎ですw
都道府県人口ランキングで、最下位からちょい上、あたり。
サルの集団が普通に住宅街を飛び回り、駅前をイノシシが走り、道端では鹿が罠にかかって暴れてるw
そんなところです。
そんなクソ田舎ですが、最近になって「日本が失ってしまった地域共同体が機能してる」なんて注目されたりしてます。
例えば、物々交換がいまだに生きているw
実際、筆者の家も、野菜はほぼ貰い物です。
白菜とか、びっくりしますよ。スーパーで売ってるやつの3倍ぐらいの大きさです。
魚も時々貰います。
これもスーパーで売ってるやつとは、味が全然違います。
刺身よりも、塩焼き、煮魚にしたほうが旨い。
ちなみに物々交換といっても、筆者の家は何も作ってないので、旅行に行った際にお土産を買ってきて渡すぐらいですがw
さて、かつて日本では、全国でこのような物々交換が行われていました。
これを破壊したのが、資本主義の最大の特徴である「商品経済」です。
このあたりの経緯は、かつて記事にしましたね。
物々交換経済は、「不自由さ」と一体です。
人間関係や身分(地主と小作人等)、村の掟といったものに縛られるからです。
資本制社会の一員となり、工場で労働者として働く=労働力を商品として売れば、村の掟や人間関係に縛られることなく、自由にいろんなモノやサービスと交換可能です。
地主と小作人、という身分からも自由になり、職業選択の自由も手に入ります。
日本の場合、こうしたムーブメントが起こったのは、戦後の農地改革がきっかけでした。
戦前の日本では、耕作地の約半分が小作地。
これを支配する地主が小作料を取り立てる、という封建的(土地と身分に縛られる)社会でした。
農地改革によって、小作地が格安で小作人に与えられることで、農村は2つの意味で商品経済に組み込まれます。
一つは、農民が農産物を市場で自由に販売できるようになったこと。
もう一つは、職業選択の自由を得ることで、若者を中心に農村から都市への大移動が起こったことです。
都市では大規模な団地やニュータウンが形成されましたが、ここでは農村のような濃密な関係性はありません。
当然ですよね。
そんなことをしなくても、貨幣で好きなものが買えるのですから。
さて、こうした農村から都市への人口移動により、日本の資本主義は大きく発展しました。
資本主義には不況がつきものですが、この場合でも職を失った労働者は一時的に農村に「手伝い」という形で吸収されます。
そして、好況になれば再び都市へ戻っていく。
農村が一種の緩衝材の役割を果たしたわけです。
資本の生産力が発展すると、資本は地方に巨大な商業施設を建設します。
これにより、地域に根差していた商店は破壊されます。
「顔なじみ」といった関係性が失われ、人々は「消費者」としても「替えが効く存在」になっていきました。
家族の破壊
みなさん、サザエさんは知ってますよね。
いかにも「昔ながらの良き家族」って感じがします。
これには、理由があります。
・三世代同居の大家族
・テレビはお茶の間に1台きり
・電話も固定が1台きり
・子供部屋は、カツオとワカメの共用
・車は持たず、必要の都度レンタカーを利用
・浪平(オヤジ)が強い権限を有している
・女性が専業主婦
これの要素が複合して、「古き良き家族」を作り上げているのです。
テレビが1台しかないことで、自然とお茶の間にみんなが集まり、団らんが生まれます。
固定電話も1台しかないので、家族の「取次」が欠かせません。
ワカメにボーイフレンドが出来ても、隠し通すことは不可能でしょうw
車も1台なので、どこに行くかは家族全員が話し合って決め、そろって移動することになります。
浪平の強い権限(家父長制)と、女性が専業主婦であることはセットです。
家族の経済的支柱(大黒柱)であるからこそ、浪平は強い権限を持ち得るのです。
さて、なぜサザエさんのような古き良き家族が成立したのか、見えてきましたね。
資本の生産力が、まだ低い時代だったからです。
資本の生産力が向上するにつれて、これらはすべて破壊されることになります。
なぜか。
人の価値観、道徳観、精神といったものは、その時々の環境(生産力)によって規定されるからです。
まず、テレビや車、電話といった商品は、テクノロジーの発展でより安く、より便利になっていきます。
テレビは部屋ごとに1台、電話も携帯電話が一人1台、車も大人一人に1台保有するようになる。
子供部屋も、一人一部屋になっていく。
これは、生産力の向上に伴って「プライバシーが大切」という価値観が人々に芽生えたからです。
資本にとっても、これは好都合ですよね。
家族がバラバラになればなるほど、売り上げが上がるからです。
さらに生産力が向上=社会的分業が進むと、「男女平等」という価値観が芽生えます。
これは、分業の促進で、力の弱い女性でも活躍できる仕事が発生したからです。
これまた、資本にとっては好都合です。
労働者の給料は、労働力の再生産費用に一致することは、以前説明しましたよね。
一日働くと、くたくたに疲れます。
労働力を消耗した状態です。
これを回復させるために、食事をし(食費)、家で寝て(住居費)、時々リフレッシュする(娯楽費)必要があります。
また、子供を作って「次世代の労働力」を生産する必要もあります。
労働者の給料とは、この諸々の再生産費用だということです。
ここで、女性(妻)が働くとどうなるか。
労働力の再生産費用は、夫婦で生活しているのだから、大きく変化しませんよね。
資本はこれまで男性(夫)に払っていた給料とほぼ同じ額で、もう一人(妻)を雇える、ということです。
つまり、男性の給料を引き下げる余地が生まれる。
労働力1単位あたりの費用が下がり、資本は万々歳ですねw
さて、女性が働くようになれば、当然家庭内での地位も向上します。
浪平の居場所は、次第に小さくなっていくでしょう。
そして、女性が一人で生きていくだけの経済力を持つようになれば、そもそも結婚する必要性も薄れていきます。
未婚率の上昇、少子化が進んでいきます。
こうして、生産力の向上とともに、家族という共同体も破壊されていきます。
「分厚い中間層」の破壊
農村が安くて優秀な労働力の供給源となり、日本の資本主義は発展しました。
経済成長は、
①人口(労働力)の増加
②資本(生産設備)の増加
の3要素で決まります。
つまり、農村の余剰人口が底をついた時点で、経済成長は一つの限界を迎えるということです。
資本は、更なる「農村」を外の世界に求めます。
海外です。
海外の安い労働力を利用するため、経済はグローバル化していきます。
この時点で、国内の労働者は、海外の安い労働者との競争になります。
必然、給料には下落圧力がかかり、所謂「分厚い中間層」は破壊されていきます。
経済がここまでグローバル化する以前は、貧富の格差は国家単位でした。
南北問題ですね。筆者も中学校で習いました。
この格差が、グローバル化に伴って「国内」に移転した、ということです。
先進国の「分厚い中間層」から、途上国の貧しい人々への富の移転です。
余談ですが、よく「国内の労働者へ分配しろ」「海外の貧しい人々も救え」という2つのことを同時に主張する人がいますよね。
そんなことは不可能です。
モノやサービスの生産力は限られています。
世界中の人々が豊かな生活を送ることは、不可能なのです。
「富裕層が極端な富を蓄えている」といっても、実際のモノやサービスの消費量は庶民と大差ありません。
「お金」でみるから、格差があるように見えるだけです。
本質は「モノやサービス」です。
従って「富裕層から貧しい人へ分配すれば、みんなが豊かになる」なんてことは幻想なのです。
以上、生産力の発展が共同体を破壊してきた経緯をお話しいたしました。
明日以降、②分業による人間疎外で、機械の部品のように「替えの利く」存在に成り下がる事について、考えていきます。
今日もお付き合い下さり、ありがとうございましたm(__)m