アクセス数は、もう諦めました

こんばんは!サイコパスの郵便屋さんです。

 

すいません、今日からしばらく、抽象ネタやらせてくださいm(__)m

やっぱり、自分が書いてて面白くないと、続かないんです。

具体ネタを書いてると、すごく疎外感を感じるんですよね。

筆者が一から作ったはずのブログから、筆者自身が疎外されるんですw

 

アクセス数は、もう諦めました。

アクセス数のために「あるべき姿」に規定されるのは、もう耐えられない。

それはもはや、時間の切り売り労働も同然です。

 

爆損ネタ書いてた時には一日300アクセス近くありましたが、結局何も残らないんですよね。

抽象ネタを再開したとたん、潮が引くようにいなくなっちゃいました(´;ω;`)

筆者としては、まずはブログの存在を知ってもらわないと、という気持ちだったんですが。。

 

ブログでお金を稼ごうとも思っていません。

ブログは、そういう資本の論理からは離れたところに置いておきたいです。

 

筆者なりの投資哲学を、世界の解釈を語りたいし、聞いてほしい。

他の人のも知りたい。

長期投資において大事なことって、そういう抽象的な部分だと思います。

他人の日々の資産状況なんて、どうでもいいこと。

増してや、筆者の語る市況など、有害ですらありますw

 

投資哲学といえば三菱氏ですが、氏のブログで<気になる記述があったんですよね。

確か「中長期的マクロ的には米国経済の先行きに、やや気がかりな面が出てきた」ような事が述べられていました。

現在は、「米ドルの基軸通貨としての地位に懸念がある」ような言葉に置き換えられているんですが、そのことを仰りたかったのでしょうかね。

ものすごく、気になります。

 

さて、

先日、筆者は次のように述べました。

 

筆者は、現代における生き辛さの原因は

狩猟採集時代に最適化され、形成された遺伝子

産業革命以降に激変した社会環境

このミスマッチにあると考えています。

 

これを、もう少し掘り下げます。

 

人間にとっての幸せは「共同体への貢献」ではないでしょうか。

愛、友情、信頼、絆、承認、自己実現

幸せを具体的に書くと、こんな感じですよね。

これらはすべて、「共同体への貢献」を成しえた時の報酬です。

愛=次世代の労働力の生産

友情=「喜び」「楽しさ」というサービスの共同生産及び交換

などなど、ですね。

身も蓋もない言い方ですがw

もう少し物語チックに言えば、

「自分の実存を懸けた生産物を、みんなに認められ、喜んでもらえた時の感動」

です。

これが、筆者が考える「幸せ」です。

余談ですが、筆者が抽象ネタにこだわるのも、これが理由ですw

たとえ一人でもいい、「自分の実存を懸けた生産物」を面白がってほしい。

これにつきます。

 

しかし、産業革命以降に急速に発展した生産力=テクノロジーは、これらと矛盾する要素を形成しました。

 

①あらゆる共同体を破壊する

②分業による人間疎外で、機械の部品のように「替えの利く」存在に成り下がる

③頑張れば頑張るほど、相対的に貧しくなっていく

 

この3点です。

これについて、明日以降、またお話していこうと思います。

 

お付き合い下さり、ありがとうございました。