株式投資がオワコン化する時

いつも心にサイコパスを⭐️

こんにちは、サイコパスの郵便屋さんです。

 

まず、次のグラフをご覧ください。

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(ジェレミー・シーゲル著:株式投資 第4版より)

 

長期投資家で、このグラフを見たことがない人はいませんよね。

株式長期投資は、この200年間で75万倍という途轍もないリターンをたたき出しました。

200年前に1万円を株式に投資し、ほったらかしておくだけで75億円ですよ。

しかも、この数字はインフレ調整後の実質リターンです。

 

ここで不思議に思いませんか?

この利益は、いったいどこから来たのか。

 

短期トレードの場合は、話は簡単ですよね。

あるトレーダーの利益は、他の誰かのトレーダーの損失です。

限られたパイの奪い合い、ゼロサムゲーム。

短期トレーダーの対手は、他の短期トレーダーです。

 

では、ここで問題です。

長期投資家の対手は誰なのでしょう。

 

正解は労働者です。

 

長期投資家は「資本家」として、労働者を給料(再生産費用)以上に働かせることによって、その剰余利益を搾取しています。

利益は、さらなる生産拡大のために再投資され、資本は雪だるま式に拡大していきます。

これが、拡大再生産(byマクルス)です。

なぜ、株式だけが複利で膨張し続けるのか。

その秘密は、この拡大再生産にあったのです。

 

余談ですが、「なぜ高配当株は値上がりしにくいのか」の答えもこれです。

剰余利益を再生産に回さず、配当として還元しているからですね。

 

では、ここで再び問題です。

 

労働者は、なぜ自らが搾取されると分かっていながら、それでも働き続けるのでしょうか?

 

今日は、これについて考えてみましょう。

 

なぜそれでも、労働者は働くのか

少し前の、大和ハウスのCMって覚えていますか?

「自給自足を始めてみた」ってやつです。

井戸を掘り、稲を植え、牛を飼い、頑張った末に採れた米は、ほんの一握り。

「たったこれだけか…」のため息と共に、自給自足は終わりましたとさ。

 

そんなストーリーでしたよね。

これが、その答えです。

 

なぜ、現代では自給自足ができないのか。

それは、労働者が生産手段を奪われているからです。

 

例えば、筆者は郵便配達員ですが、僕らが担っているのは「配達」という、郵便サービスのほんの一部分にすぎません。

 

その郵便を出してもらうために、他の誰かが「営業」し、「引受、差立、輸送」され、区分機で道順組み立てされた後に、ようやく最終工程として僕らのもとにやってきます。

 

僕らが単独で「郵便サービス」を「生産」することはできません。

配達員は、ほんの一部の歯車にすぎない。

 

マルクス的に言うと「生産手段を奪われた」状態ってことですね。

 

じゃあ一人で郵便サービスを始めよう!としても、上手くいくわけがありません。

自分一人で引受し、よその県まで運んで…とかやってると、とても一通84円ではサービス提供できない。

 

「株式会社」という組織の一部分として働くしかないのです。

搾取される、と分かっていても。

「身分」と「生産手段」からの自由

資本主義以前の村社会では、「個別生産」と「物々交換」が主流でした。

ある人は服を作り、またある人は米、野菜、味噌etc。

 

これを、物々交換するわけです。

一人ひとりが生産手段を有しているので、搾取は発生しません。

 

しかし、村人はこの共同体から仲間外れにされたら、もう生きていけません。

何も交換してもらえないからです。

従って、「村の掟」や「上下関係」に縛られた、非常に不自由な暮らしです。

 

ここで、資本主義による分業が登場するとどうでしょう。

 

工場労働者として働けば、「貨幣」が手に入ります。

この「貨幣」は便利なもので、あらゆる種類の物やサービスに交換できます。

 

そして、労働者と村人の最大の違いは「自由」です。

村人は、「身分」と「生産手段」に縛られています。

家業が「米作り」ならば、自ずと職業は「米作り」で決まり。

職業選択の自由などありません。

 

労働者になれば、「職業選択」という自由が与えられます。

村の窮屈な「掟」や「身分」「上下関係」に縛られる必要もありません。

「貨幣」さえ手に入れば、村なんかに頼らずとも自由に生きていけるのです。

 

村FIRE、ってことですねw

 

こうして、資本主義は「村」という共同体を破壊しました。

 

これにより、労働者は「身分」と「生産手段」の自由を得て(逆に言えば生産手段を奪われて)、搾取の構造に組み入れられたのです。

 

この構造こそが「なぜ、株式の長期投資が破壊的に儲かるのか」という問いの答えです。

労働者が生産手段を取り戻す時

逆に言えば、「株式投資の優位性が崩れる時」もわかりますね。

 

労働者が生産手段を取り戻した時です。

 

例えば、ユーチューバー。

彼らは、「youtube」というプラットホームを使ってはいるものの、完全にサービスを自力で生産しています。

 

ヒット曲にしても、少し前までは「企業」の力でプロモートしないととても不可能でしたが、今や「youtube」発の曲がヒットチャートを席巻するようにもなりましたよね。

 

筆者が恐れているのは、ここです。

 

いまでこそ、「youtube」つまり「グーグル」という株式会社の提供するプラットホーム上での提供がされていますが、もし強力なコンテンツを持つ個人が、これに叛旗を翻したらどうなるか。

 

アップルに対する、フォートナイトのようなものです。

 

こういった経済が大きく進展し、サービスの生産に株式会社が必要とされなくなる時代がくるのではないか。

 

筆者の妄想にすぎないことを願います。