いつも心にサイコパスを☆
こんにちは、サイコパスの郵便屋さんです。
筆者は、郵便配達員です。
この職場には、「配達が早いやつが偉い」という厳然としたヒエラルキーが存在します。一応、業務内容には「営業販売」や「顧客サービス」等も含まれるのですが、現場においては、やはり「配達が早い順」に権威付けがされていく、という感じですね。
しかし、給与体系は依然として公務員時代のものを踏襲しており、年功序列色が強いものになっています。
ここで生まれてくるのが
あいつより俺のほうが仕事ができるのに、給料が安いのはおかしい!
という不満です。
まあ、気持ちは分かります。
筆者自身、一時的に仕事に前向きに取り組んでいた時期もあるんですよ。
いまでは、見る影もありませんが。
部内誌(一応全国発行)に数ページに亘って取り上げられたり、社長(鍋倉さん、高橋さん、横山さん)と直接お話したこともあります。
しかし、それによって給料が上がることはほぼありませんでした。
加算昇給といっても、せいぜい数千円程度。
当時は、それがとても不満でした。
しかし、それは世の中の仕組み上、仕方のないことなんですね。
さて、今日はそのサラリーマンの給料についてのお話です。
サラリーマンの給料=労働力の再生産コスト
マルクスってご存じですよね。
共産主義思想を生み出した張本人として極悪人扱いされていましたが、最近、再評価が進みつつあります。
筆者は、このマルクスの影響を受けています。といっても、読んだのは不破哲三さんや佐藤優さんの解説本ですが(-_-;)資本論は難解極まりないので(;^ω^)
このマルクスが述べたのが「労働者の賃金は、その再生産コストに一致する」という事です。
僕たちサラリーマンが一日8時間、目一杯働くと、くたくたに疲れますよね。「労働力を使い切った」状態です。これを回復、つまり「労働力を再生産」するには、家に帰って(住居費)、ご飯を食べて(食費)、テレビやネットを見たり(娯楽費)する必要があります。
会社(資本家)としては、この諸々の「再生産コスト」を支給しますよ、ということです。サラリーマンには翌日以降も会社にきて働いてもらう必要があるので。
じゃあ、なんでおっさんばっかりいい給料持ってくのさ
それは「子供を作り育てる」、つまり「次世代の労働力の生産」をさせる必要があるからです。
これがサラリーマンの給料の決まり方なんですね。
給料は「費用」であって、「利益の分配」ではないのです。
つまり「機械の部品」と同じです。コモディティ(汎用品)。
今年は機械の部品もよく頑張ったね。特別に高級オイルを使ってやろう。
そうはならないですよね。
会社としては、機械が普通に動いてくれれば、最低限のオイルでいいのです。
会社が儲かろうが、労働者がいくら頑張ろうが、「翌日以降も出勤してくれる最低限の費用」だけ払っていればいいのです。
労働力の汎用品化(コモディティ化)
「機械の部品」には、性能にバラツキがあっては困りますよね。「すぐ壊れる部品」「長持ちする部品」「少ないオイルでもよく回る部品」「回りにくい部品」…そんな状態では、ムダが多く出ます。
それ以上に困るのは、「性能のいい部品」が、
俺は、あいつより仕事ができるのに、なんで給料が変わらないんだ!
とか言い出すことです。
こうなると、会社はその部品を辞めさせないために「能力給」という追加費用を払う必要が出てきてしまいます。
これを避けるには、仕事の内容をできる限りマニュアル化・標準化して「誰がやっても同じ結果になる」ようにすることが必要です。
郵便局でも、「基本動作」「標準作業」が導入されています。
また、最近では「自動ルーティン」という、最適な配達経路をAIが組み立ててくれる端末も導入されてきました。
これに「自動運転」が加われば、「労働力のコモディティ化」は完璧です。
配達員は、端末で荷物のバーコードを読み取るだけで、あとは自動運転の車に乗り込めば、勝手に配達先まで連れて行ってくれます。
これにより、「ベテランの知恵、腕」というものを完全に無力化。「能力」に対して追加的にコストがかかることもなくなり、めでたしめでたし、というわけですね。
「欲深い資本家」の正体とは
ここまで読んできて、
会社はなんて残酷なんだ。欲深い資本家どもをなんとかしろ!
そう思われるでしょう。
では、「欲深い資本家」の正体とは一体何なのでしょう。
僕たちが株式投資をする際、何を基準に投資先を決めますか?
あ、効率的市場仮説は横に置いておいてくださいねw
はい、それは「利益」であるはずです。
「利益」を上げた会社の株価が上昇し、僕たちは儲けることができるから。
この会社は赤字続きだけど、すごく従業員を大事にしてるの。ここに投資するわ!
そんなヤツはいませんw
どんなに清廉潔白な人間だとしても、株を買うときは「どの株を買えば儲かりそうか」と考えるはずです。
こうなると会社としては、何が何でも利益を上げる必要が出てきます。
株価が下がると資金調達がしにくくなるし、株主総会で経営陣が首になる恐れも出てきます。
当然「人件費」を、必要最低限、つまり「再生産コスト」にしようという力が働く。
もうおわかりですね。
「欲深い資本家」という、独立した人間などいません。
あるのは、僕らが「利益を基準に株式投資する」という事実に基づいた「システム」のみ。
上場企業の社長に就いた人間は、このシステムによって、否応なく「欲深い資本家」として振舞わざるを得ないのです。
「欲深い資本家」を革命で打ち倒せば、労働者が解放される、というような単純な話ではありません。
僕たちはどう生きるか
サラリーマンとして頑張ることで、給料は上がらないまでも、「承認欲求」を満足させることは、今のところ可能です。
しかし、これもAIやロボット、自動運転といった「労働力コモディティ化促進機」が普及するにつれ、厳しくなっていくと思われます。
最近「退職後のキレる老人」が社会問題になっていますが、これも満たされない「承認欲求」がそうさせている面は否めません。これが老人のみならず、社会全体に広がる事を考えると、空恐ろしいです。
「労働」が「承認欲求」を満たす力を失うときが刻一刻と迫っています。
幸い、僕たちには「株式投資」があります。これにより、少なくとも金銭面では不自由なく生きることができるでしょう。
では、承認欲求は、どう満たすのか。
ブログ、youtube、メタバース、地域貢献ボランティア、あるいはマインドフルネスで承認欲求そのものを克服するのか。
僕たちが、自ら「自由」に選択していかねばなりません。
僕たちは、「自由」の刑に処されているのです。