初めまして!
ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
サイコパスの郵便屋さんです。
地方で郵便配達をしている、40代前半の男性です。
まずは、管理人の自己紹介から。
管理人はサイコパスなの?
結論から言いますと「サイコパスに憧れている、ただの凡人」です。
なぜサイコパスに憧れているのか、については後述しますね。
さて、wikiによるとサイコパスの特徴はこんな感じらしいです。
- 極端な冷酷さ
- 自己中
- 感情の欠如
- 結果至上主義
- 口が達者で表面は魅力的。
- 不安や恐怖を感じない。
- 他人に共感しない
私が当てはまるのは、「自己中」と「結果至上主義」くらいです。
口下手で、表面的にすら魅力的ではないし、超ビビりです。
私の「サイコパス」の定義
じゃあ、ブログタイトルに偽りありじゃん!
そう思われますよね。
では、次の動画をご覧ください。
岡田斗司夫さんが、サイコパスについて語っています(9分55秒~)
私のサイコパスの定義は、これに近いです。
「日常の事象を自己の目的に応じて抽象化し、それに従って行動する人間」
それが、サイコパス。
「抽象化」とは、具体的な物事から、ある特定の要素だけを抽出する事です。
言い換えれば、対象要素以外の部分を「捨象」、つまり捨て去る事だとも言えます。
一言でいうと「目的のために手段を選ばない」ということですね。
この定義ならば、私はサイコパスです。
私の目的は、ズバリ「お金持ちになること」です。
これを達するため、私は人間関係を含む日常的事象を
「自分がお金持ちになるために有用か否か」
という一点で判断し、それに従って行動しています。
「お金に執着する=人間的に汚い」という道徳
なんて自分勝手な酷いやつだ!
そう思われるかもしれませんね。
では、「お金持ちになるため」を「自身の肉体を鍛え上げるため」に
変えたらどうでしょう。
やだ…ストイックで素敵
そうなるんじゃないでしょうか。
なぜ、まったく同じロジックにもかかわらず、「お金持ち」が「肉体鍛錬」に
変わっただけで印象が180度覆ってしまうのか。
これは、日本人に特有の
お金に執着する=人間的に汚い
という道徳観に起因していると考えられます。
認知バイアスの一種だと言っていいですね。
そもそも、この「もっぱら「経済的合理性」にのみ基づいて、かつ個人主義的に行動する」ことは、経済学においては「人間」の「前提条件」となっています。
しかし、「道徳」という名の「認知バイアス」によって、人間は経済合理的な行動をとることが妨げられているのです。このことを、経済学では「限定合理性(認知能力の限界によって、限られた合理性しか持てないこと)」といいます。
なぜ「サイコパス」を目指すのか
サイコパスは、「他人に共感しない」「集団から孤立することを恐れない」特性により、世間や会社といった「共同体」の作り出す「道徳」から逃れ、自身の目的に対して合理的に行動できます。
折しも現代は、「価値観の多様化」、「成長神話の崩壊」、「AI・ロボットによる労働無用化」等により、会社や世間という「共同体」が崩壊していく最中にあります。当然、この「大きな共同体」に支えられてきた「大きな道徳」も崩れていきます。
「神はこれから死ぬ」のです。
「大きな共同体」「大きな道徳」に依って生きてきた「常識人」は、すべての価値が相対化された大海を、目的もなく漂うのみとなるでしょう。
このような混沌とした時代にあたり、旧来の常識にとらわれず、ただ自身の目的にのみ注力するサイコパスは大変有利になっていくでしょう。サイコパスとは、「超人」なのです。
私は、自身の人生を実存的に切り開いていきたい。それが、私がサイコパスを目指す理由です。
「道徳」をどう利用するか
さて、ここからが肝心なのですが、私はこの「道徳」を批判したいのではありません。
自分に都合よく利用するのみです。
なぜならば、変えられるのは自分の行動だけだから。
物事には「慣性」が働きます。
いったん動き出したものを変えるのは容易ではありません。
ましてや「道徳」という長い年月を経て培われたものならば尚更です。
ならば、そのままの形で利用したほうがいい。
もちろん、犯罪はいけませんよ。
日本は法治国家ですからね。
逆にいえば、「法に触れなければ何をしてもよい」ということでもあります。
この「法」と「道徳」の間には、前述の認知バイアスによって大きなスプレッド(差異)が存在します。
これを刈り取ろう、というわけです。
「郵政」と「資本主義」をハックし、お金持ちになる。
「自由」を手に入れる。
それが、私の最終的な目標です。
以上、散漫な内容になりましたがお許しください。
お付き合いくださり、ありがとうございました。